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2018.04.16 Monday

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    エミール・クストリッツァに関して、というか「アンダーグラウンド」に関して

    2004.07.09 Friday

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      吉祥寺のバウスシアターでは、現在エミール・クストリッツァの映画が2本上映されている。「炎のジプシーブラス」と、「黒猫・白猫」である。

      クストリッツァは、旧ユーゴスラビア出身の監督であり、僕は「アンダーグラウンド」という彼の代表作を20才ぐらいの頃に観た。この作品は95年のカンヌでパルムドールに輝いた作品だ。(ちなみにこれが彼にとって85年の「パパは出張中!」に続く2度目のパルムドールなので既に巨匠中の巨匠監督である。)

      「アンダーグラウンド」は、ナチスドイツにユーゴが侵略される所から始まり、大戦後、ティトー大統領の政権で一時安定するが、ティトーの死後、内戦が始まりそしてユーゴスラヴィアという国家そのものが無くなってしまうまでの、ユーゴ近現代史の時代の物語だ。ナチスの侵略から逃れるために地下に潜って、戦争が終わったことを知らずに現代まで生き残る人々と、戦争がまだ続いていると地下の人々を騙し続けた男の物語であり、それはどこかファンタジックな香りすら漂うフィクションである。

      映画でほとんど泣いたことが無かったのだが、この映画で初めてといっていいぐらい涙が止まらなかった。(基本的に涙が止まらなかったなんていう感想は非常にその作品を安っぽいものにおとしめるのであまり言いたくはないが。)ちなみに今年の元旦も実家で家族でこの映画を観て、母はボロボロ泣いていた。僕はさすがに母親と二人で泣いてしまうのは恥ずかしいので我慢したが、それでも涙をとどめることはできなかった。

      映画でもドラマでも泣けるものというのは、結構わかりやすいポイントであることが多い。音楽がいい具合に盛り上がったり。ところが、この映画での涙はそういう具体的な泣きどころがあるからというわけでは無い。自分でも気付かないうちに、次第に何かが込み上げてきて、あまりにも美しいラストシーンに到達したときにただ涙が漏れてしまうのである。ユーゴの悲惨な歴史、人々が直面する残酷な境遇に涙するというより、物語の終わりが来たことが悲しくて涙が流れる、そういった表現が一番近いのかも知れない。

      それにしても、自分の属する国家が無くなるというのはどういう感覚なのであろうか?今、日本という国に対して何の思い入れも無い。しかし、日本という国が無くなったとき自分は正常でいられるのか?

      「黒猫・白猫」は、映画史上、稀に見るハッピーエンドの映画であるかも知れない。愛しあう恋人達が結ばれ、敵対してた者達は友となり、死んだ老人は息を吹き返し、若者は旅に出る。そんな素敵な終わり方をする映画であった。

      満たされていることが当たり前な日本人(僕)にはこんな物語は絶対生み出せない。だから、「世界の中心でなんちゃら・・」なんていう安っぽい卑屈な物語しかこの国には無いんだ、きっと。

      今年のカンヌでクストリッツァの新作が出品されていたようなので楽しみだ。彼の映画は死ぬまで観続けよう。

      ちなみに、「アンダーグラウンド」は来週BSで放送予定らしい。