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2017.01.13 Friday

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    欲望

    2005.12.28 Wednesday

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      アントニオーニ監督『欲望』(本文と関係無し)

      よくよく考えれば当たり前のことなのだろうけど、自分はほぼ100%主観の世界の中に生きていて、そのことは自分が死ぬまで変わることは無いのだろう。
      時折、疲れてるときなど無意識的に鏡で自分の顔を見ると、気味悪くなるということがあった(多分ほとんどの人がそういう経験があるのではないだろうか?)。それは何も自分の顔の造形が奇麗だとか汚いだとかそういうことでは無い。疲れ切っているせいか、自分を自分としてでは無く、単なる生物としての人間(ホモ・サピエンス?)として認識できてしまうのだ。そうすると、単純に人間の顔の造形というのが、非常に気持ち悪くなったりする。右と左の目の形の微妙なズレであったり、鼻が顔の真ん中に位置することだったり、口を空けると白い歯が並んでいたり、表面に薄く透き通った毛がたくさん生えていたりと、生物の造形は何とも気持ちが悪い。かわいいイヌや猫にしたって、彼らには人間のような感情が無い分、こちらが冷めた目でマジマジと観察してしまうと本当に気味の悪い造形だ。

      ただし、僕の意図することは「人間とは?」とか「生きる意味は?」とかそういう哲学的な命題に文章を導くことでは無く、もっとシンプルで、「生活の中でふと夢から覚めるように客観の世界にシフトする瞬間がある」ということだ。そういう状態になってしまうと、いわゆる違和感、ズレといったものを強く感じてしまう。しかし、常にそういう状態が訪れるかというと、そういうわけでも無く、生活の中に時折忍び込んでは、一瞬で立ち去ってしまうというたぐいのものであり、誰しもがONとOFFを物凄い速度で繰り返し、ほとんどその差異を認識することなどそうそう無いのだとも思う。

      自分が必ずしもそうだというわけでは無いので、あくまでも推測の域を出ないのだが、そういう状態が常に続いてしまうとその人自身にとって、自分の周囲のものが全て無意味なものに感じてしまうのだろう。一歩引いてしまうと、あらゆるものがまやかしのようなもので、いくら映画なんて観ても結局の所、それが何の意味があるのかという話だし、仕事をして給料を貰って生活をしなければならない、という社会の暗黙のルールがそもそも何でそういうルールがあるのかも良くわからない。3大欲求とは良く言ったもので、この3つからはみ出した欲求(多分、人間にしか持ちえない高度な欲求なのだろう)に関わるもの全てが意味の無いものに思えてしまうのだろう。

      あらゆることに刺激を感じることのできない状態になった人のことを、一般的に「無気力な人」と言い表すのだろう。だが本当に彼らは何にも刺激を感じないし、何もしたくない、そんな人達なのだろうか。「無気力」という状態に置かれたときというのは、実は違和感やズレと言ったものを強烈に感じているときなのでは無いだろうか?
      「無気力状態」というのは、自分の置かれている環境、自分の望む人間関係などに何らかの違和感やズレを感じ、そのズレを修正したいと思っている状態であると僕は考える。少しでも自分をより適切な状態(主観の中での)へ近づけたいと感じることこそが、「欲望」というものの正体なのでは無いかと僕は思うのだ。
      例えば、ころころと職を変えてしまうというのは、自分の環境を少しでも自分の理想に近づけたいという欲望の典型的な例であろうし、旅行ばかり行く人は、文字通り自分の居る場所を少しでも変えたいという欲望の典型的な例であろう。

      「眠りたい」という欲求はあくまでも「欲求」であり、「欲望」では無い、「おいしいものを食べたい」も、「いい女とやりたい」もしかり。ただ単純に「金持ちになりたい」というのも「欲望」とは少し違う。違和感やズレを感じていなくても金は無いよりはあった方が良いという普通に生活していれば誰しもが感じることであろうから。

      「欲望」の定義をそのようにしてしまうと、自分は旅行などほとんどしたいとも思わないし、仕事も何だかんだ言って、それなりに腰を据えているし、学校だってやめたりしたこともやめたいと思ったことなども無かった。多分、僕は「欲望」の強いタイプの人間では無い。

      以前に、小中高と同級生の友人から高校時代共通の同級生が改名したという話を聞いたことがあった。改名した彼とは高校以来全く会ってもいないが、彼のキャラクターや、その改名後の名前を聞いてかなり大笑いしたのを覚えている。改名というのは法律上どのように定められているのか、その彼は戸籍自体を変更したのか、それとも自称であるのかはわからない。しかし、よくよく考えると、改名というのは自分自身をコントロールする上で有効な手段の一つになり得るのかも知れない。

      僕は「ユウスケ」という名前なわけで、特にそれに対して疑問に感じることは無い。しかし、二十数年間生きてきて、現在の自分に「ユウスケ」という名前は果たして妥当なのであろうかと問われるとその答えは難しい(たぶん、名字が珍しいせいもあって、9割方名字で呼ばれるので、「ユウスケ」というのは呼ばれ慣れてないせいもあるのだろうけど)。
      ネット上では「グニュウスケ」というハンドルネームを使っているが(何で「グニュウスケ」なのかは面倒なので割愛)、このハンドルネームというものがいい具合にクッションになっているおかげでブログでこんなこと書いたりもできるのだ。
      ど〜も、ユウスケです。「欲望」とはうんちゃらかんちゃら〜、なんていうことは多分恥ずかしくて絶対にできない(笑)。ハンドルネームなんてものを使っているおかげで、ちょっとした冒険をすることができるのだ(そもそも、「〜のだ」調の文章を本名を出して書くのはなかなか恥ずかしい)。

      確認しきれてはいないが、生まれたときに決められた名前を一生使い続けるという制度が確立されたのは明治維新の頃なのだろうか?武士など階級が上の人間に限ったことかも知れないが、昔の日本人はちょくちょく改名をしている。例えば、源義経などは幼名が牛若丸で、鞍馬山にいるときはシャナオウ(漢字わからない)と呼ばれたり(これはあだ名かな)、元服して源九郎義経と名乗っている。この元服という制度は今考えるとなかなか良くできている。幼い頃から呼ばれ慣れた名前を捨てることで、自分はもう子供では無く、大人の人間なのだということを実感できるであろうし、そのときの自分に見合った名前を付けることも可能だろう。歴史上の人物は、元服に限らず、良く「これからは〜と名乗ることにしよう!」なんて、かなりいい加減に名前を変えている印象がある。しかし、改名によって、周囲の人間にも自分は今までの自分とは違う人間なのだということも強くアピールできるし、自分の中にくすぶっていた違和感を解消する効果もあったのだと思う。

      改名を決意した同級生も、自分の一つの名前に縛られて生きていくことに窮屈なものを感じていたのかもしれない。しかし、彼がそのような決意するにいたった心境を考えると何とも複雑な気持ちになるのだが。


      ホフディラン『欲望』(本文と関係無し)

      「何でこんなにガキンチョなんだ!」という犯罪は多い。発想が幼稚で短絡的で、体は大人なのに心は完全に幼児のまま成長できてない大人が多くなっているのは、子供から大人へ変わる境目が曖昧になってきていることが原因ではなかろうか。自分の幼稚性を制御するために昔の日本人は元服という制度を上手く活用していたのだろう。もちろん改名なんて大胆なことをしなくても、読書をして心を想像力を働かせるのも良いし、映画を観てハリウッドスターに憧れを募らせるのも良いし、音楽を聴いて体を揺らすのも良い。僕が初めに無意味では無いかと書いた行為の一つ一つは、日々常に感じる違和感やズレを微調整する役割を果たす。そうしたことの積み重ねで社会に適応し、幼稚な犯罪などを犯さない大人として生きていくことができるのだ。

      京都で小学生の女の子を殺した20代前半の塾講師は、微調整が下手クソだったのだろう。女の子を殺した動機で、「あの子を殺さなければ自分が壊れる」などとのたわまったようだ。上手く脚色すれば太宰やら三島由紀夫などのような文学的な世界にもなりそうではあるが、やはり幼稚だ。要は、小学生の女の子と20歳を超えている自分との違いを認識できていないのだ。体だけは成長しても、小学生の女の子があたかも自分の同級生であるかのように感じているのだ。ロリコンと呼ばれる嗜好性は程度の大小はあれども、結局はそういうことだ。
      自分自身に子供ができてしまえば、いやでも自分は大人の人間なんだと認識できるはずなのだが、それでも自分の子供と同じくらいの年頃の子供に性欲を募らせるロリコンもいるわけで、こうなってきた段階だと完全なる「変態」だと言えるのかも知れない。

      「快楽殺人」なんていうのが、良く小説でも漫画でも映画でもフィクションの世界に登場するが、自身の「欲望」を満たすために殺人を犯すというのは、フィクション作家が手抜きして考え出した動機であって、僕の言うように、「欲望」の定義が自分の違和感やズレを修正したいと願う欲求であるなば、殺人が欲望を満たすということなどあり得るはずが無いし、あってはならないのだ。フィクションの世界で動機無き「快楽殺人」が登場した場合、それは作家の手抜きと考えて間違い無い。

      動機無き人間達を集めて、殺人集団に上手くしたてあげたのがオウム真理教だ。幼稚な人間を集めて、殺人を救済と称し、人を殺せば殺すほど魂のステージが上がっていくのだという何とも幼稚なゲーム感覚を洗脳によって植え付けて、テロを実行した。
      しかし、これによく似たシステムをもう一つ知っている。それが「戦争」と呼ばれるものだ。本来動機を持たぬ者に大義というゲーム感覚を植え付け殺人を奨励するシステムとオウム真理教のシステムにどこか相違点はあるのだろうか?自国の兵士は一人も死亡しないと仮定して、敵も一人も殺さずに戦争を集結に導くことと、世界中のイスラム教徒を皆殺しにして戦争を集結に導くことではどちらが評価が高いのだろうか?時間をかけて話し合いをして、北朝鮮を何とか民主的な国へ導くことと、一気に爆撃をして北朝鮮人を皆殺しにして不安要素を取り除くことと、実際はどちらが支持されるのだろうか?

      何だか脱線してきたが、僕の考える「欲望」の中には自殺も他殺もあり得ないのだ。「欲望」とは常にポジティブなものであり、「無気力」も「欲望」を生み出すための大事なファクターだ。何もしたくないということは、何かがしたいことと同義なのだと思う。

      「夢を持つ」「夢を見る」ということは、「欲望」に近いとは思うが、大きな夢を見すぎると、その欲望が叶った先に待つものが自分の理想の世界だとは限らない。
      比喩的な表現をすると、自分のはるか上空には風が吹いていて、遠くに移動するためには、その上空の風に乗る必要があるのだ。いわゆるアメリカンドリームと呼ばれるものの正体は実はそのことであって、アメリカという国は上空に吹く風がとてつもなく強いのだ。だから、一度その風を捕まえてしまえば、とてつもない場所まで運んでくれる。ところが、あまりの風の強さに(なんてったってハリケーンの国だ)、全く制御不能で本人が意図しない所に連れて行かれるのだ。だから、カート・コヴァーンなんていう悲しい結末を迎えた人もいるわけだが、マイケル・ジャクソンしかり、マコーレ・カルキンしかり、チャーリー・シーンしかり、アメリカという国には愛すべき奇人変人がわんさかいるのだ。ああ、アメリカ。何て素晴らしい国。

      結局の所、自分の現在の能力に見合った強さの風を見極める気象予報士のような能力を養う教育がもっとあって良いべきなのかも知れない。石原良純は気象予報士として、実際の風を見極める能力は無かったかも知れないが、逆にそれが彼なりの良い風となり、現在はベストポジションを獲得している。ピョンピョン飛び跳ねているよりは、少しづつ歩いて移動しながら、適切な風に乗るというのが賢い生き方なんだろう。

      それにしたって、改名はしないよなあ〜。その同級生は、改名後より改名前の方がどう考えてもかっこ良い名前のようだったのでますます笑えた。

      良いお年を。

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      2017.01.13 Friday

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        コメント
        グニュゥスケさん、はじめまして。
        以前お書きになったのだとわかっていながら、
        とても素晴らしい記事だと感じ、
        トラックバックと私のブログにて紹介させていただきました。
        今、まさに無気力状態の私に、ひとつの答を提示していただいたようで、
        感謝しております。
        事後報告で申し訳ございません。それでは^^
        かゆりさん、ありがとうございます。
        あまりにもうれしいので、かゆりさん自身のブログに長々とコメントさせていただきました。
        また色々更新しようと思いますよ。
        • by グニュウスケ
        • 2006/08/21 11:42 PM
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        鬱、というのは、もちろん、辛いものだけれど、 そのあとに襲ってくる、強烈な「無気力」というものも、 案外と辛い。 じわじわとくる。 何かに興味を持ってこそ、 イキイキと毎日を活性化して、 過ごせるはずなのに、何にもない。 私は「ミーハー」と呼ば
        • First Kiss
        • 2006/08/19 7:56 AM
        「情事」や「夜」「太陽はひとりぼっち」など、″愛の不毛″をテーマに作品を撮り続けたイタリアの鬼才、ミケランジェロ・アントニオーニ監督が1966年に発表した″不条理ドラマ″であるアートフィルム「欲望」(原題=BLOWUP、伊英、111分、カルロ・ポンティ製作
        • シネマ・ワンダーランド
        • 2006/08/20 8:36 PM
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