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2017.01.13 Friday

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    『きわめて現代的で、転じて原始的な事件に関して』

    2008.06.12 Thursday

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      朝家を出る前に、今日の「とくダネ!」を見ていたら、秋葉原の事件の加藤容疑者の両親の謝罪会見と称するものが流れていた。

      この時点で色々とおかしいぞと感じてしまうわけなのだが、どこかの記者(「とくダネ!」で流れている以上、フジTVや産経新聞の記者なのだろうか?ちょっとわからないが。)が、『両親として、遺族の方々にどのように責任を取っていくつもりか?』といったような趣旨のことを質問していた。

      大マスコミに対する不信感というのはここ数年でかなり高まった。これは個人的な意見ではあるが、一般的にもそういう風潮はあると思う。
      僕はもううがった見方しかできなくなってきたので、ほとんど新聞、テレビの報道は見ないようにしていたのだけど、たまたま見ていたらこの調子だったので朝から苛々としてしまったのである。

      どんな点に僕がイラついているのかをくどくどと書きたい。
      まず、両親に対して「どう責任を取るのか?」と問うても、犯罪を犯したのは25才の社会人であり、親元を離れて暮らしているのだ。どうやって、両親は彼の犯罪を防ぐことができたのか?
      また、両親は遺族に対して誠意を持って詫びに行ったり、あるいは賠償金を支払ったりとこれから色々なことをしていくのだろうけど、あの会見の場で、「どう責任を取るのか?」と問われて何を答えれば良いのだろう?死んだ人達は生き返らないし、何を言ったって、批判の目にさらされるだけでは無いのだろうか?被害に合った方々の心情を考慮しても、あの両親は責任の取り方について何も答えることなど現時点ではできるはずは無いのだ。
      そんなことはここでくどくど書かなくても誰にだって想像はできる。そんなことすらわからずに無責任な質問をしていたあの低俗な記者は一体両親の口からどんな言葉を期待していたのだろうか?
      「責任を取ってこの場で切腹する」とでも言わせたかったのだろうか?

      そういう低俗なレベルの会見をこれみよがしに流していた「とくダネ!」という番組スタッフ及びフジTVの良識を改めて疑う。(多分、他のテレビ局でも同じような報道はしていたと思うけど。)
      そういう意味で、小倉智昭はクソだ、ハゲだ、秋田の恥だ、この糖尿野郎!
      葛西アナもクソだ。自称映画通のこいつの映画の趣味は最悪だ!
      佐々木恭子はどっちでもいいや。
      デーブ・スペクターもかなり最低なコメントをしていたが、こいつも外人だからどうでもいいや。早く日本から消えろクソアメ公!

      あまりにも低俗な番組なので、こちらまでつい低俗な批判をしたくなってしまう。

      しかし、あの会見で気になったのは、あの父親の服装だ。どういう経緯があったのかわからないのだが、何でああいう会見で、あんなにラフな私服姿だったのだろうか?どうもこの両親はきな臭い。犯人の持っていたコンプレックスの原因は家庭にあったのでは無いか推測できそうな気もするけど、これに関しては何も確信を持てない。

      そしてここからが本題なのだけど、報道の中心になっていることが、「確信を持てない」になっていないかということだ。僕は心理学も何も良く知らないのだけど、こういう犯罪を犯してしまう要因として、二種類あるのでは無いかと思う。一つが、犯行の直接のきっかけとなる直接的要因。そして、もう一つがそもそもこういう犯罪を実際に犯してしまうような下地とでも言うべきか、いわゆる潜在的要因というやつだ。

      報道の中心にあるのが、この潜在的要因を探ることに終始しているように見える。一見、根本を探っているように見えてここを探っていても結局迷路に迷い込み、何も根本的な解決には至らないと思うのだ。潜在的要因を探ろうとすれば、その要因を作り出した直接的要因を探らなきゃ行けないし、そうすると、また潜在的要因が枝のように分かれて、結局どこにも行き着かない。卒業文集を紐解いても何も理解することはできないのだ。

      報道がやるべきことは、徹底的に一次直接的要因を探ることだ。今回のケースだと、まるで携帯サイトの掲示板でのやり取りが引き金になっているかのように報道されている気がする。でもそれはちょっと違うのでは無いだろうか?

      もっとはっきりした直接的要因は誰がどうみたって、派遣契約で働いていた自動車工場からの解雇だろう。一度は解雇をまぬがれたが結局解雇、みたいな話が出ているが、まさに引き金となったのはそれだ。

      アニメを浴びる程見ようが、女の子にもてなかろうが、携帯サイトでどんなことを書かれようが、そんなことだけであんな無差別殺人は絶対に人は起こさないと思う。彼は生きているのが嫌になったわけで、人が心からそう思い行動に移してしまうのは、自分の未来に何も明るいものを見出せないと心の底から感じてしまったからだろう。そんなことを感じるというのは、例えば最低限(これは感じ方に個人差はあると思う)の生活すら自分には出来ないと感じたときだったりするのではなかろうか。

      彼は解雇を通知される同僚の姿を見て、そして自分も遅れて解雇の対象になった。これからもずっとこういうことの繰り返しだと感じたのでは無いか。学歴の無い自分が、そういう状況から逃れる術は無いと感じたのでは無いか。

      そう考えたとき報道はどこへ向かうべきなのか。
      それはこうした雇用状況は何故生み出され、いつから始まったのか、そこを徹底的に追求していくべきでは無いのだろうか。

      ふと思うと、「派遣」だとか「契約」だとか、「正社員になれない」だとかそういう単語っていつから出回ったのだろうと思うのだ。不況うんぬんの話では無いだろう。あの小泉とかいうペテン総理の時代からでは無いか。安倍晋三はグッドウィルの折口と仲良さげに握手をしている写真を見たことがある。あの頃からでは無いのか。トヨタの奥田とかいう男が経団連の会長であった時代からでは無いのか。

      ひと頃、あのゴキブリみたいな総理大臣がしきりに言って全く定着せずに死んでいった「再チャレンジ」という言葉がもの凄く空虚に聞こえる。
      野党の人間は、国会で福田康夫に、再チャレンジの件はどうなったのか聞いたら良いと思う。

      もの凄く不謹慎で、最低なことを言っているのは重々承知の上で、せめてあの犯人が財務省にでも車を突入させ、タクシー代を税金からパクりまくっている官僚共を一人でも多く斬りつけていてくれたらどんなに良かっただろうとすら思う。それも許されることでは無いが、あの日秋葉原にいた全く罪の無い犠牲者に比べて、彼らは明らかに薄汚い罪人だからだ。

      あの犯人が死刑になることは間違い無い。しかし、それまでの間、まだ彼にやれることはある。自分がどういう状況の中生きてきたのか、何故あのような犯罪を犯してしまったのか、徹底的に自己分析して少しでも多く語ることだ。その発言の一つ一つが日本社会を揺るがすような価値のある言葉になり得るかも知れないのだ。

      きわめて現代的なように見えるこの事件は、何だか貧困に人々があえいでるような発展途上国で起きそうな事件だと感じた。
      やりきれない。
      JUGEMテーマ:ニュース


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