スポンサーサイト

2017.01.13 Friday

0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    吉祥寺南口にあった無印良品の跡地で「ドン・キ・ホーテを開店する」ことを決めてしまったらこの街はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの

    2014.02.21 Friday

    0
       PROLOGUE:ニつの出来事は決して無関係とは言えない

       2014年2月12日、吉祥寺文化の一翼を担っていた映画館、バウスシアターが5月末日をもって30年の歴史を閉じることが発表された。私はPCの面前で凍り付いた。
      吉祥寺に約17年前に住み始めてから、バウスシアターに通い続けた。まるで自宅で映画を観るかのようにバウスで映画を観ていた。このような終焉の日がやってくるとは夢にも思わなかったのだ。

       さかのぼること約一ヶ月半、2013年12月31日、NHK紅白歌合戦の場にて、AKB48の大島優子が2014年内に卒業することを発表した。その直後、山手線で人身事故があり初詣客を乗せた都内の交通機関は大混乱となった。大島優子の卒業発表にショックを受けたファンが列車に飛び込んだのだというまことしやかな噂まで飛び交った。さすがにこの2つの出来事は無関係であろう。人は誰しも無関係な出来事を物語として結びつけたくなるものだ。

       2014年2月12日、バウスシアター閉館の一報を聞いた私はふと、大島優子の卒業のことを思った。そして、私の第六感(シックスセンス)、いや第七感(セブンセンシズ)、いやさ第八感(エイトセンシズ)が囁く。
       「ニつの出来事は決して無関係とは言えない」」
       そう、吉祥寺バウスシアター閉館と、大島優子の卒業は無関係では無いのだ。


      バウスシアター

       17年間、吉祥寺の街の変遷を見続けた。その過程では数々の愛した店が消えていった。まさに、AKB48から数多のメンバーが卒業していったように。私はこれらの消えっていった店の記憶をネットワークの海に埋葬すべくここに記すことにしよう。しかし、吉祥寺などという特定の地域の店舗について記したところで、住民以外はピンと来ないだろう。そこで、日本国民の常識的知識であるAKB48メンバーに紐付けながら紹介したいと思う。ラーメン屋やら喫茶店の類が多いのは、大学生の頃からの住民目線とご容赦願いたい。

      EPISODE1:去るものたち

       以下、私の愛した今はもう存在しない店をいくつか羅列しよう(順不同)

      吉祥寺味源(ラーメン)
      伊太利屋(イタリア料理)
      セボール(カフェ)
      ストーン(喫茶店)
      ドラマ(レンタルビデオ店)
      一二三(ラーメン)
      大鵬(とんかつ屋)

       吉祥寺味源は北海道ラーメンの店である。渋谷や阿佐ヶ谷にも同名の系列店があり、メニューも大体同じなのだが、吉祥寺の味源は格別であった。大学生の頃は毎日のように通っていた。10年以上前、病気になって3週間入院したとき、退院したら真っ先に食べたいのは味源のラーメンだった。退院した私は味源に行き大好物のごまラーメンを食した。しかし、病気の治療で副作用の強い薬を投与していた私は味覚が変わってしまい、ちっとも旨いと感じることができず、ただただ塩辛さを感じるのみであった。私は泣いた。もう味源のラーメンを旨いと感じることはできないのか。私は泣いた。涙の味はそのときの味源のラーメンよりもしょっぱかったことを昨日のことのように覚えている(実は調理する店員の腕によるところが大きかっただけである。薬の投与を終えた後、食した時は以前と変わらぬ味であった。店長が調理すると絶妙の味であったのだ。)その後、旧近鉄裏の風俗街にあった味源は、一旦閉店した後、パルコ脇に移転して復活した。ただ、学生時代のように足繁く通うことも少なくなっていった。しかし、私の中で吉祥寺味源は今でも、吉祥寺の絶対的エース、不動のセンターのままである。まさに、AKB48を卒業した前田敦子であると言えるだろう。


      吉祥寺味源

       伊太利屋はレンガ館の地下にあった定食屋の雰囲気を携えたカジュアルなイタリア料理店である。夫婦で経営しており、全ての料理が抜群に旨かった。付け合わせのサラダの味からして、他の店には無い素晴らしい味であった。イタリアンハンバーグ、生パスタで作ったペスカトーレ、未だにあの味を超える店を私は知らない。3.11を境に、伊太利屋はずっと閉店状態となりそのまま消えた。閉店した理由を人づてに聞いたが、ご本人に確認したわけではないのでここには記さない。しかし、3.11は私達から伊太利屋を奪い去った。確かな味への絶対的な信頼感、安心感は、AKB48を卒業した篠田麻理子を彷彿とさせる。


      伊太利屋

       セボールは駅前のパルコ前の通り沿いにあったフレンチ風のカフェである。長居するというより、さっと立ち寄ってコーヒーや軽食をとるのに最適だった。ガラス張りの店内で煙草を燻らせながら外を歩く人を眺める極上の時間を提供してくれた。カフェオレはミルクとコーヒーを別々に出してくれるこれまたフレンチ式であった。無くなると聞いた時に初めてその存在の大きさを知った。そして同時に私は、初期AKBには大島麻衣が主要メンバーとして大きな存在感を示していたことを思い出したのだ。


      セボール

       ストーンは駅の南側の地下にあった喫茶店だ。コーヒーの味はピカイチ。狭いながらも居心地の良さもピカイチ。アンティークかつダンディな雰囲気を醸し出していた。このような男も惚れる男らしさをAKBで例えるならば、秋元才加の他に私は知らない。


      ストーン

       レンタルビデオ店のドラマが無くなってしまったことにも驚いたが、ドラマCAFEとしてリニューアルしたことにもっと驚いた。駅近辺のレンタルビデオ店がTSUTAYAのみとなってしまったことに時代の移り変わりを感じてしまう(少し離れた所にGEOもあるが) 。10年以上前に、旧友のサイトに吉祥寺のレンタルビデオ店の比較評論記事を書いたことを思い出す。要はその頃は大手チェーン以外にも、個性的なレンタルビデオ店が数多く吉祥寺に存在したのだ。個人的に吉祥寺の変遷を一番強く感じるのが、レンタルビデオ店である。吉祥寺からは無くなってしまったが、他の街にもいくつか残っていたり、カフェに業態を変えてみたりとしたたかにサバイブしている様子は、ヤングマガジンのグラビアで物議を醸し出したり、ソロ活動を精力的におこなったりと何とかやっていけそうな、河西智美を思わせる。


      ドラマ

       一二三は、正直私などがこんな所にあげていいのかと思わせる程、熱烈なファンの多い、吉祥寺を代表するラーメン屋だ。その味はラーメンというより日本蕎麦に近く、他では食べることの出来ないものだった。孤高のたたずまい、クールネス、まさに板野友美である(正直、一二三のファンだけにはあまりこの記事は読まれたく無いが)


      一二三

       とんかつ屋の大鵬が無くなったことも驚いた。店主もかなりの高齢だったのでしょうがない。これはもう卒業メンバーで言えば、野呂佳代である。以上。


      大鵬

      EPISODE2:残るものたち

       次々と愛する店が無くなってしまう中、残り続ける信頼のおける店もいくつかある。

       ホープ軒は、吉祥寺以外の人にも知られている老舗ラーメン屋の一つだ。誰でも受け入れる頼もしさは、AKB48グループ総監督であり、1期メンバーである高橋みなみをおいて他にいない。


      ホープ軒

       A.B.CAFEは、私が住み始めた頃から、吉祥寺を代表するCAFEであった。お洒落カフェの割に喫煙可能なことや、店員の愛嬌の良さなど、何だかんだ浮気したところで結局ここに行き着いてしまう安心感。高橋みなみと同じく1期メンバーの小嶋陽奈とよく似ている。


      A.B.CAFE

       AKB48の1期メンバーで残っているのは前述した高橋みなみ、小嶋陽奈、そして峯岸みなみの三名のみである。峯岸みなみは2013年全世界を揺るがした騒動を起こした。研究生に降格するなど色々あったが、心機一転出直して見事に彼女だけのポジションをキープし続けている。数年前に南口のガード下から北口パルコ裏に移転したこと、世間的な知名度の高さから言っても、吉祥寺に例えると、ラーメン屋のぶぶかがふさわしいだろう。ぶぶかは油そばの代名詞と言っても良い店で、カップラーメンにもなっている有名店だ。前述した吉祥寺味源の閉店後、そのまま同じ場所に移転したのである。2014年2月現在、峯岸みなみは、若手中心のチーム4のキャプテンとして活躍している。吉祥寺味源無き後、同じ場所で吉祥寺のラーメンシーンを牽引し続けるぶぶか、前田敦子去りし後、若手メンバーの牽引役として残り続ける峯岸みなみ、峯岸みなみとはぶぶかであり、ぶぶかとは峯岸みなみである。


      ぶぶか

       他に足繁く通う店は風俗街近辺にある、その名も中華街という中華料理店である。何を食べるか困ったらとりあえずここに行く。油こくないヘルシーな中華料理がウリである。特別なものは無いように見えて実力派。総選挙1位、HKT48の指原梨乃のようである。


      中華街

       吉祥寺と言えばカレーの旨い店が多いことも有名だが、個人的に何となく忘れがちになってしまう。好きな店が数多くあるが、ここではまめ蔵くぐつ草をあげておこう。AKBは前田敦子も大島優子もいなくなって大丈夫かと思ってしまうが、そういえば、渡辺麻由と柏木由紀という安定した実力派がいるじゃないかと、やはり忘れがちだが思い出した。

            
      まめ蔵      くぐつ草

      EPISODE3:来るものたち

       私が住み始めてから、次々と新しい店が開店しては、消えていった。群雄割拠の吉祥寺の中でもサヴァイブし続け、吉祥寺の新しい顔と成りうる店をいくつか挙げていこう。

       ZENON(ゼノン)は、元週刊少年ジャンプの編集長が立ち上げた同名の月刊漫画誌より派生した形で開店したCAFEだ。北条司(シティーハンター)や、原哲夫(北斗の拳)など近隣に住む有名漫画家が多く関わっており、吉祥寺を代表する店となっても良いと思う。別の場所に薬膳バーを開いたりと、精力的に業態を拡大しているのだが、今ひとつブレイクできない感もある。前田敦子卒業後のAKBのセンターを担うであろうと期待されていた島崎遥香であったが、どうもそういうポジションにはまらない様相を見せている。そもそもそういうポジションにつきたいのかどうかも不明であるが、2014年の総選挙では順位を上げれるだろうか。 


      ZENON

       二郎インスパイア系として、第一ホテル側にオープンしたラーメン屋、「バリ男」は、吉祥寺の新しいラーメン屋の中ではかなり気に入っている。ダイエット中なので控えたいのだが、空腹になると思い浮かぶのはここのラーメンである。川栄李奈は、2013年にめちゃイケの企画でオバカキャラとして大ブレイクした。わかりやすい愛くるしさ、ヤンキー感はバリ男と重なる部分が多いにある。


      バリ男

       川栄李奈とは月と太陽の関係のような存在が、入山杏奈である。彼女は同じくめちゃイケの企画で、テストの1位を取り優等生キャラとして位置づけられた。AKBメンバーにしては珍しいくらいの美形であり、頭も良い、声も可愛い。そんな彼女にふさわしいのは、タイ料理店、ラコタでは無いだろうか。ベジタリアン向けのメニューもあり、上品な店。インテリジェンス漂う雰囲気が、入山杏奈に近いと感じる。


      ラコタ

      EPISODE4:新たなる希望

       このまま吉祥寺は個性を失い、ただ暮らしやすいだけの街になってしまうのだろうか。いや、そんなことにはならないだろう。一切触れなかったが、ハモニカ横丁には今も新旧入り交じり個性的な良店が数多く存在する。個人的な事情を言えば、アルコールが呑めるようになったため、酒という観点ではまだまだ開拓の余地が残っている。ラーメンやカレーやカフェやらカジュアルな店ばかりが目立ちがちだが、今後の吉祥寺にはフレンチ、イタリアン、鮨、その他和食等、ハイグレードな店がもっと増えていくことを望みたい。これらのジャンルでは23区内と比較するとレベルが格段に下がってしまっていると感じるからだ。

       AKB48で今最も注目すべきメンバーは「三銃士」と呼ばれる3名のメンバーである。小嶋真子、岡田奈々、西野未姫という若手メンバーは次代のAKB48の中心となるべくメディアに引っ張りだこの状態である。私は吉祥寺に「三銃士」の到来を待望する。

       駅ビルのアトレの改装がある程度完了し、新店舗が出揃ってきた。その中でも私が今ドはまりしている、「Oisix Crazy for Veggy」という店を三銃士の候補として挙げておきたい。有機野菜をメインとした健康に配慮した安全、安心な食品を提供する店で、サラダやデリは毎日でも食べれる。ダイエット中の身には非常にありがたい店なのである。健康的な清潔感。生真面目さは、三銃士の一人、岡田奈々が筆頭に例えられよう。


      Oisix

       三銃士の残りの2人にあたるものはまだ吉祥寺には存在しない。吉祥寺にはこれぞという焼肉屋が無いので、元気あってパワフルな西野未姫のような焼肉屋が開店することを心待ちにしている。三銃士の筆頭、AKB48の次世代センター候補No1の小嶋真子にあたるものは、全く想像もつかない。若くして王者の風格すら漂う彼女にふさわしいものが現れるとき、吉祥寺の真の黄金時代は始まると言えよう。

           
      焼肉屋??      ?????

       AKB48グループと吉祥寺の関係について語る以上、地方性ということにも触れておくべきであろう。名古屋、大阪、博多を始めとした地方性を取込んでいくことも今後の吉祥寺の課題である(多分私のこれからの開拓分野であろう呑み屋関連こそがそれにあたるのでは無いだろうか)


      EPILOGUE:My Back Pages

       長年住み続けた街の変遷を辿ることは、自分の歴史を辿ることに他ならない。愛用した店、場所のことを考えながら思い浮かぶのは、共に同じ場所で同じ時間を共有した人々のことばかりだ。誰の共感も得難い記事となってしまったが、唯一の共感者がいる。未来の自分だ。10年後、20年後の私がこの記事を読み返したときどのような気持ちになるのだろうか。何を思っているのだろうか?変わらず吉祥寺に住み続けているのだろうか。

       Ah , but I was so much older then ,
         I'm younger than that now.

         ああ、わたしはあんなにも年老いていた
         今はあのときよりずっと若い。

         from "My Back Pages" by Bob Dylan



       

      『“誠実な商売”に関して』

      2009.01.29 Thursday

      0
        ケーブルテレビ(JCN武蔵野三鷹)のエリア担当の人間が、うちに来て何やら電波調査とかいうのをやりに来たのだ。ケーブルといいながら“電波調査”って一体どういうことだろうと思いつつも、まあ色々な技術を駆使して、うちまで番組を届けているのだと思う。

        うちのインターネット環境は、“フレッツ光マンションタイプ”とかいうやつで、今住んでいるアパートの主が、マンション用の光ケーブルを設置したらしく、案内があったので、ADSLからひかりへ切替えた。そういう経緯もあってうちのインターネット環境は比較的ストレスのたまるものでは無かった。

        JCN武蔵野三鷹の方でもインターネットをやっているので、その係員が、インターネット環境のことを尋ねてきたので上記のようなことを話した。

        すると、係員の話によると、ケーブルテレビのインターネットを使った方が得だということだ。何故かと言うと、マンションタイプのひかり回線は、回線を使用者で共有しているため、夜間帯などインターネットへ接続する人が多くなるとき程、回線を分け合うため、速度は遅くなる。要は安定しないのだ。しかしながら、ケーブルテレビは契約者につき一人一本の回線を専有できるため、いつでも速度は一定、最大速度をキープするとのこと。しかも、電話も今の番号はそのままで使用でき、現在払っている基本料金(1700円くらい)もいらなくなるとのこと(良くわからなかったけど、ケーブルを使うから、電話回線自体を使わなくなるってことなのかな。)結果的に2、3千円は安くなるのではということだ。

        僕の被る手間としては、
        ・自分でプロバイダ(nifty)の解約をすること。
        ・ケーブルテレビの人間が後日うちに来て、設定を行うとのこと。

        契約してから、2ヶ月間(3だったっけ?)は無料とのことなので、いいこと尽くめのように思えた。

        僕は自分の現在のインターネット環境を正確には把握していなかったので、ケーブルテレビの人も熱心だし、まあ良いかと思い、翌週に来て設定してもらう約束をしたのだ。

        後日、そういえばケーブルテレビは回線速度はどのくらいなんだろうと思い、
        JCN武蔵野三鷹のHPで調べたところ、コースがライト、スタンダード、プレミアムと3つに分かれており、

        ライトは下り2Mbps、上り256Kbps、
        スタンダードが下り8Mbps、上り1Mbps、
        プレミアムが下り30Mbps、上り2Mbps、
        となっていた。

        http://www.mmcatv.co.jp/net/catv/price/index.html

        で、自分が契約したのは何だったっと思い、契約書を見たらライトコースにチェックが付いている(この時点で知る僕も悪いが)。

        彼が言っていた数千円は安くなるというのはあくまでもライトコースのときであり、プレミアムなどはそれより2千円高い。

        今現在使っている、niftyのフレッツひかり(マンションタイプ)って速度がどんくらいかなあと改めて調べると、下り最大100Mbps、上り最大***Mbpsだった。回線専有では無いので、最大速度が出ることはまずありえないのだが、それでも段違いだ。ケーブルテレビのライトコースなどにしてしまったら、確実に今より大分性能が落ちてしまうだろう。プレミアムコースにすると、かろうじて今払っている料金より月額数百円安くなるという程度だ。

        今使っているのが、最大100Mbpsとうたっていても、実質10Mbpsくらいしかになっていないのではないかと思い、WEB上に速度設定のサイトが色々あるので、ネットの混みそうな深夜帯に測定したが、それでも大体35Mbpsくらいは出ていた。日中帯は50Mbpsくらい出ている。確かに不安定ではあるが、ケーブルテレビの最高速度を軽く超えているのだ。

        たかだか、数百円の節約のために性能を落として一体何の意味があるのか。

        くどくどと僕が何を言いたいかというと、
        ・「数千円今より安くなる」但し、ライトコースの場合。
        ・ケーブルテレビで一番良いサービス(プレミアム)は、ひかり回線の普通のサービスよりちょっと性能は落ち、料金も数百円安い程度。

        この2つの大事な情報に自分で調べないと辿り着けなかったということだ。

        係員が来る当日、設定に来た別の係員とそういう話をして、設定をする前に、最初に契約をした人と電話で話すことになった。そして結局の所、ケーブルテレビには切替えなかったので、キャンセル料金やら何やら(使い始めたら半年間は使い続けないと違約金やら何やら発生する。この情報も電話で初めて知った。契約書のどこかには書いてあるのだろうけど、その契約書を書いたときに、書いてあることは普通のことだけなので特に読む必要は無いと言われていた。)は発生すること無しに、円満に解決した。

        あと、もうやめる気でいたので、流してしまったが、ケーブルテレビは、分配器というものを付けてインターネットとテレビに分けて使うので、テレビが大体1.5Mbpsを使うとのこと。これもその電話で初めて知った情報だ。ということは、2Mbpsのライトコースだったら実質、0.5Mbpsしか無いのだ。もう話にならないくらいに使い物にならない。

        30Mbpsとか40Mbpsとかだともう普通にネットを見てる分には違いはほとんど無いとも言っていた。それは確かにその通りで、いくら回線速度が速く、大量のデータを高速で受信することができても、PCの描画表示の処理速度が遅ければ結局同じことで、速いと言っても、限界はあるのである。

        違いがあっても数秒だと言われたが、その数秒が積み重なって大きなストレスになることをよくわかっていないのだ。

        一つことわっておきたいが、JCN武蔵野三鷹の係員の人に対して文句があるわけでは無い。僕の気変わりにも快く対応してくれたし。どちらかと言えば確認不足だった僕の落ち度が大きいと思う。

        ただ、こういったケースが増えてきているように思えるのだ。
        魅力的なサービスは世の中にあふれかえっているくらいたくさんあるのだが、『但し』でくくられる条件が増えてきている。宣伝文句のように魅力をアピールするのは結構だが、その魅力を享受するためにはいくつかの条件をクリアしていなければならないのである。そして、その条件がわかりやすく表示されたり、説明を受けることができないのである。

        客にモノを売りつけるときは、その商品の魅力だけでなく、デメリットや、『但し』でくくられる条件を魅力以上にきっちり説明して、客の納得を得た上で売るというのが誠実な商売なんではなかろうか。不況が原因なのかどうかわからないが、そういった不都合な点をわかりづらくして、とりあえず客にモノを売りつけようとしている不誠実なケースが多すぎる(意識的であれ、無意識的であれ)。

        特にインターネット関連の商品などは、僕自身は自分で調べたりすればそれなりの知識もあるのでどうしたら良いか検討することもできるが、ちょっとそういったことなどに疎い人やお年寄りなどは、確実に言われるがままだろう。そういう人たちにとっては、モノを売りつけようとしている人が説明してくれなかったことは知りようが無いのである。で、実際に使い始めてみると、思っていたのとちょっと違う、でも今更どうしようも無い、ということでちょっとずつ不満を抱えている人達が多くなっているのでは無いだろうか。

        自分の母を例にとって見ると、ヘルシオを買ってみたは良いが、結局その機能を存分に生かしきれず、普通の電子レンジと大して変わらない使い方しかしていないので、後悔していた。しかも、あの商品は異常に音がうるさい。食物を温め終わった後も、何故か知らないがしばらくの間、騒音が鳴り続けるのだ。
        でも、ヘルシオを買いたくなった母の気持ちも良くわかる。ヨドバシカメラの店員の話を聞いていれば誰だって欲しくなる商品なのである。しかし、その説明だけではヘルシオが奏でる騒音のことまでは知りようが無い。ただ、ヘルシオの開発者の間では絶対あの騒音はデメリットとして認識はあったはずで、それを明らかにしないというのは不誠実の極みでは無いのか。

        家電等はこういった事例の山だ。120分録画できるDVD-Rを買ったら、あくまでも標準画質モードの場合で、最高画質だと30分くらいしか録画できないとか。録画した番組を10回までDVDにコピーできるとうたっておきながら、あくまでも最高画質モードで録画したときのみで画質を落とすと1回コピーすると消える、とか。専用のアダプタ、ケーブルが必要だとか、もう『但し』の条件だらけで、しかもそれがわかりやすくアピールされていないという不誠実なメーカーが多すぎる。不況うんぬんじゃなくてそういう不誠実な商売をしてきたツケが今になって効いてきているだけなのではないか。

        DVD-Rの例なんかは、もう何分録画できるとかっていう表記が間違いなのである。アナログのビデオテープはその表記が正しいが、デジタルデータの場合は、何MByteの容量が入るのかというのを一番大きく表示すべきなのだ、裏パッケージに高画質モードだったら何分、標準モードだったら何分とかいう目安値を表記すれば問題無い。しかし、市販のテレビ録画用DVD-Rのパッケージを見るとほとんどが120分とかいうある意味誤った表記をしているのがほとんどだ。

        「自己責任」だとか、「賢い消費者」だとか言うが、その前にもっと誠実な対応があってしかるべきだと思う。メリット以上にデメリットを丁寧に説明してくれる人間を僕は信用するし、それが本当の商売だと思うのだ。

        僕はJCN武蔵野三鷹に対する信用を失くしたし、他にはSHARPのAQUOSなんかも自腹ではこの先買うことは無いだろう(ハードディスクレコーダーを買ったのだが、これがもう『但し』の見本市みたいな製品だった)。

        モノが売れないという現象も何となくわかる。こうした誠実さの欠片も無いような対応が「裏切られた」という感覚を消費者にじわじわと植え付けていったのだ。

        ブルーレイディスクも今は絶対買わない方が良いと思う。絶対にまだ何かの「裏切り」があるよ。絶対だ。

        最後にこの記事を書くきっかけとなった、リンク先の記事を読んで欲しい。
        『Windows 7のバージョンは幾つ? 6つはやめてくれ』
        http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0901/27/news078.html

        特にここの言葉が秀逸だ。

        「マーケティングの中で最悪なのは、約束したものを後で取り上げたり、条件付きで提供することだ。派手に宣伝している機能は、皆が使えるようにした方がいい。」


        長々と書いた愚痴の締めくくりはこの曲のサビの引用にしておこう。

        "Honesty" by Billy Joel(超意訳 by gnyuske)

        Honesty is such a lonely word
        Everyone is so untrue
        Honesty is hardly ever heard
        And mostly what I need from you

        “誠実”って何て寂しい言葉なんだろうねえ。
        みんな不誠実すぎるよ。
        “誠実”なんてこと久しく聞かないなあ。
        君に求めてるのはそれだけなのにね。



        52nd Street
        JUGEMテーマ:日記・一般


        『2008年私的ベストに関して』

        2008.12.29 Monday

        0
          JUGEMテーマ:日記・一般


          "暮れ"なので今年良かったものを思い出しがてら、ツラツラと挙げていきたいなあと思う。こういう記事をアップしておくと、自分が後で見直したときに、「この年はこんなものを面白がっていたのか〜」と楽しめるのだ。何の肩書きも無い個人がブログをやる理由とは、顔も知らない他人に自分の考えを知ってもらいたいこともあるけれど、そんなことより、まず自分のためだろうと思うのだ。だから、今年のベスト、なんてものをこれから挙げていくが他人から見たらそんなに物珍しいラインナップでは無いだろうなあと書く前から感じてはいるが、あくまで正直に記述しておきたい。

          いっぱい書いてしまったので記事を以下のように分けてみました。

          2008年私的ベスト(洋画編)
          2008年私的ベスト(邦画編)
          2008年私的ベスト(音楽編)
          2008年私的ベスト(漫画&小説編)
          2008年私的ベスト(その他・芸能ニュース編)

          『10年前』

          2008.09.27 Saturday

          0
            JUGEMテーマ:日記・一般


            新宿のスターバックスでコーヒーを注文したとき、ふと、『10年前』という言葉が浮かんだ。

            家に帰って、ウィキペディアでスターバックスの日本進出の時期を調べたら、銀座の1号店が1996年とあった。厳密に言えば、『10年前』では無かった。
            当時の僕は仙台在住の高校生だったので、スターバックス初体験は、東京の大学に来てからのことだ。

            僕にとってのスターバックスの最初の記憶は22、23歳の頃。就職活動の時期だった。あまりがんばった方では無いが、着慣れないリクルートスーツを着て、馴染みの無い東京のオフィス街を色々回っていた。

            喫煙者の僕がわざわざスターバックスに行くというのが、少し変だと思われるのだが、実はスターバックスは大好きなのだ。平日の昼間、東京のオフィス街で大人の会社員に混じり、スターバックスでカフェラテを飲むというのは、ちょっとした背伸びのように感じられたのだ。とはいっても、そこで何をするかと言えば、ポータブルMDプレーヤーでイギリスのギターバンドの曲を聴き、少年ジャンプを読むとかそんなことだった。

            スターバックスと言えば、カフェラテだ。当時も色々なメニューがあったのだが、頼み方が難しくて、トールやらグランデと言った用語の意味もまだおぼつかなかったので、いつもカフェラテを頼んでいた。スターバックスに行き慣れていると思われる、粋な人々は、単なるカフェラテでは無く、様々なトッピングを付けたりと、自分なりの注文の仕方を心得ているように思えた。

            僕も真似してみたかったが、注文の時、もたつくのが格好悪く感じて、結局普通のカフェラテしか頼まなかった。しかも、下手にトッピングを付けすぎると、すぐに500円くらいは超えてしまい、当時の僕はそこまで一杯のカフェラテに金をかけたくなかったのだ。

            それでも、行き慣れてきた僕がようやく覚えたトッピングが、ミルクを豆乳や、低脂肪乳、無脂肪乳に変えることだ。豆乳はプラス50円だが、他の2つは無料なのだ。誰に向けて何をアピールしたかったのか、今となっては判然としないが、ミルクを変えることで何か自分なりのこだわりができたような気になって、必ずそういう注文の仕方をした時期があった。もちろん、味の違いがわかったことは一度も無かった。

            本当のことを言うと、カフェラテはあまり好きでは無かった。結局水も一緒に飲まないと喉の渇きを潤すことはできないからだ。僕は普通のコーヒーが飲みたいといつも思っていた。しかし、スターバックスに来て、ただのコーヒーを頼むのはクールではないと決めつけていた。だって、メニューにもコーヒーは文字だけで写真すら載っていなかったからだ。大抵、コーヒーを頼むのはスターバックスとドトールの区別も付かないような格好悪いオッサンばかりだった。そして僕の目に映る彼らはおしなべて、スターバックスに居心地の悪さを感じているようだった。

            『10年前』。
            僕は現在ちょうど30歳。20歳の頃のことである。
            現在が2008年なので、1998年のことである。

            西暦で考えると、世紀をまたがっていることもあるが、とても遠い過去のように感じる。
            自分の年齢で考えると、大した昔でも無いように感じる。
            『10年前』。
            とても曖昧な時間だと思う。

            相変わらずタバコは止めてないが、週に何度もスターバックスには行っている。
            相変わらず、少年ジャンプを読んでいる。

            変わったことと言えば、MDプレーヤーがiPodになったことと、聴く音楽が少しだけ変わったこと。
            それから、スターバックスでは普通のコーヒーしか注文しなくなったことくらいだろうか。

            欲望

            2005.12.28 Wednesday

            0

              アントニオーニ監督『欲望』(本文と関係無し)

              よくよく考えれば当たり前のことなのだろうけど、自分はほぼ100%主観の世界の中に生きていて、そのことは自分が死ぬまで変わることは無いのだろう。
              時折、疲れてるときなど無意識的に鏡で自分の顔を見ると、気味悪くなるということがあった(多分ほとんどの人がそういう経験があるのではないだろうか?)。それは何も自分の顔の造形が奇麗だとか汚いだとかそういうことでは無い。疲れ切っているせいか、自分を自分としてでは無く、単なる生物としての人間(ホモ・サピエンス?)として認識できてしまうのだ。そうすると、単純に人間の顔の造形というのが、非常に気持ち悪くなったりする。右と左の目の形の微妙なズレであったり、鼻が顔の真ん中に位置することだったり、口を空けると白い歯が並んでいたり、表面に薄く透き通った毛がたくさん生えていたりと、生物の造形は何とも気持ちが悪い。かわいいイヌや猫にしたって、彼らには人間のような感情が無い分、こちらが冷めた目でマジマジと観察してしまうと本当に気味の悪い造形だ。

              ただし、僕の意図することは「人間とは?」とか「生きる意味は?」とかそういう哲学的な命題に文章を導くことでは無く、もっとシンプルで、「生活の中でふと夢から覚めるように客観の世界にシフトする瞬間がある」ということだ。そういう状態になってしまうと、いわゆる違和感、ズレといったものを強く感じてしまう。しかし、常にそういう状態が訪れるかというと、そういうわけでも無く、生活の中に時折忍び込んでは、一瞬で立ち去ってしまうというたぐいのものであり、誰しもがONとOFFを物凄い速度で繰り返し、ほとんどその差異を認識することなどそうそう無いのだとも思う。

              自分が必ずしもそうだというわけでは無いので、あくまでも推測の域を出ないのだが、そういう状態が常に続いてしまうとその人自身にとって、自分の周囲のものが全て無意味なものに感じてしまうのだろう。一歩引いてしまうと、あらゆるものがまやかしのようなもので、いくら映画なんて観ても結局の所、それが何の意味があるのかという話だし、仕事をして給料を貰って生活をしなければならない、という社会の暗黙のルールがそもそも何でそういうルールがあるのかも良くわからない。3大欲求とは良く言ったもので、この3つからはみ出した欲求(多分、人間にしか持ちえない高度な欲求なのだろう)に関わるもの全てが意味の無いものに思えてしまうのだろう。

              あらゆることに刺激を感じることのできない状態になった人のことを、一般的に「無気力な人」と言い表すのだろう。だが本当に彼らは何にも刺激を感じないし、何もしたくない、そんな人達なのだろうか。「無気力」という状態に置かれたときというのは、実は違和感やズレと言ったものを強烈に感じているときなのでは無いだろうか?
              「無気力状態」というのは、自分の置かれている環境、自分の望む人間関係などに何らかの違和感やズレを感じ、そのズレを修正したいと思っている状態であると僕は考える。少しでも自分をより適切な状態(主観の中での)へ近づけたいと感じることこそが、「欲望」というものの正体なのでは無いかと僕は思うのだ。
              例えば、ころころと職を変えてしまうというのは、自分の環境を少しでも自分の理想に近づけたいという欲望の典型的な例であろうし、旅行ばかり行く人は、文字通り自分の居る場所を少しでも変えたいという欲望の典型的な例であろう。

              「眠りたい」という欲求はあくまでも「欲求」であり、「欲望」では無い、「おいしいものを食べたい」も、「いい女とやりたい」もしかり。ただ単純に「金持ちになりたい」というのも「欲望」とは少し違う。違和感やズレを感じていなくても金は無いよりはあった方が良いという普通に生活していれば誰しもが感じることであろうから。

              「欲望」の定義をそのようにしてしまうと、自分は旅行などほとんどしたいとも思わないし、仕事も何だかんだ言って、それなりに腰を据えているし、学校だってやめたりしたこともやめたいと思ったことなども無かった。多分、僕は「欲望」の強いタイプの人間では無い。

              以前に、小中高と同級生の友人から高校時代共通の同級生が改名したという話を聞いたことがあった。改名した彼とは高校以来全く会ってもいないが、彼のキャラクターや、その改名後の名前を聞いてかなり大笑いしたのを覚えている。改名というのは法律上どのように定められているのか、その彼は戸籍自体を変更したのか、それとも自称であるのかはわからない。しかし、よくよく考えると、改名というのは自分自身をコントロールする上で有効な手段の一つになり得るのかも知れない。

              僕は「ユウスケ」という名前なわけで、特にそれに対して疑問に感じることは無い。しかし、二十数年間生きてきて、現在の自分に「ユウスケ」という名前は果たして妥当なのであろうかと問われるとその答えは難しい(たぶん、名字が珍しいせいもあって、9割方名字で呼ばれるので、「ユウスケ」というのは呼ばれ慣れてないせいもあるのだろうけど)。
              ネット上では「グニュウスケ」というハンドルネームを使っているが(何で「グニュウスケ」なのかは面倒なので割愛)、このハンドルネームというものがいい具合にクッションになっているおかげでブログでこんなこと書いたりもできるのだ。
              ど〜も、ユウスケです。「欲望」とはうんちゃらかんちゃら〜、なんていうことは多分恥ずかしくて絶対にできない(笑)。ハンドルネームなんてものを使っているおかげで、ちょっとした冒険をすることができるのだ(そもそも、「〜のだ」調の文章を本名を出して書くのはなかなか恥ずかしい)。

              確認しきれてはいないが、生まれたときに決められた名前を一生使い続けるという制度が確立されたのは明治維新の頃なのだろうか?武士など階級が上の人間に限ったことかも知れないが、昔の日本人はちょくちょく改名をしている。例えば、源義経などは幼名が牛若丸で、鞍馬山にいるときはシャナオウ(漢字わからない)と呼ばれたり(これはあだ名かな)、元服して源九郎義経と名乗っている。この元服という制度は今考えるとなかなか良くできている。幼い頃から呼ばれ慣れた名前を捨てることで、自分はもう子供では無く、大人の人間なのだということを実感できるであろうし、そのときの自分に見合った名前を付けることも可能だろう。歴史上の人物は、元服に限らず、良く「これからは〜と名乗ることにしよう!」なんて、かなりいい加減に名前を変えている印象がある。しかし、改名によって、周囲の人間にも自分は今までの自分とは違う人間なのだということも強くアピールできるし、自分の中にくすぶっていた違和感を解消する効果もあったのだと思う。

              改名を決意した同級生も、自分の一つの名前に縛られて生きていくことに窮屈なものを感じていたのかもしれない。しかし、彼がそのような決意するにいたった心境を考えると何とも複雑な気持ちになるのだが。


              ホフディラン『欲望』(本文と関係無し)

              「何でこんなにガキンチョなんだ!」という犯罪は多い。発想が幼稚で短絡的で、体は大人なのに心は完全に幼児のまま成長できてない大人が多くなっているのは、子供から大人へ変わる境目が曖昧になってきていることが原因ではなかろうか。自分の幼稚性を制御するために昔の日本人は元服という制度を上手く活用していたのだろう。もちろん改名なんて大胆なことをしなくても、読書をして心を想像力を働かせるのも良いし、映画を観てハリウッドスターに憧れを募らせるのも良いし、音楽を聴いて体を揺らすのも良い。僕が初めに無意味では無いかと書いた行為の一つ一つは、日々常に感じる違和感やズレを微調整する役割を果たす。そうしたことの積み重ねで社会に適応し、幼稚な犯罪などを犯さない大人として生きていくことができるのだ。

              京都で小学生の女の子を殺した20代前半の塾講師は、微調整が下手クソだったのだろう。女の子を殺した動機で、「あの子を殺さなければ自分が壊れる」などとのたわまったようだ。上手く脚色すれば太宰やら三島由紀夫などのような文学的な世界にもなりそうではあるが、やはり幼稚だ。要は、小学生の女の子と20歳を超えている自分との違いを認識できていないのだ。体だけは成長しても、小学生の女の子があたかも自分の同級生であるかのように感じているのだ。ロリコンと呼ばれる嗜好性は程度の大小はあれども、結局はそういうことだ。
              自分自身に子供ができてしまえば、いやでも自分は大人の人間なんだと認識できるはずなのだが、それでも自分の子供と同じくらいの年頃の子供に性欲を募らせるロリコンもいるわけで、こうなってきた段階だと完全なる「変態」だと言えるのかも知れない。

              「快楽殺人」なんていうのが、良く小説でも漫画でも映画でもフィクションの世界に登場するが、自身の「欲望」を満たすために殺人を犯すというのは、フィクション作家が手抜きして考え出した動機であって、僕の言うように、「欲望」の定義が自分の違和感やズレを修正したいと願う欲求であるなば、殺人が欲望を満たすということなどあり得るはずが無いし、あってはならないのだ。フィクションの世界で動機無き「快楽殺人」が登場した場合、それは作家の手抜きと考えて間違い無い。

              動機無き人間達を集めて、殺人集団に上手くしたてあげたのがオウム真理教だ。幼稚な人間を集めて、殺人を救済と称し、人を殺せば殺すほど魂のステージが上がっていくのだという何とも幼稚なゲーム感覚を洗脳によって植え付けて、テロを実行した。
              しかし、これによく似たシステムをもう一つ知っている。それが「戦争」と呼ばれるものだ。本来動機を持たぬ者に大義というゲーム感覚を植え付け殺人を奨励するシステムとオウム真理教のシステムにどこか相違点はあるのだろうか?自国の兵士は一人も死亡しないと仮定して、敵も一人も殺さずに戦争を集結に導くことと、世界中のイスラム教徒を皆殺しにして戦争を集結に導くことではどちらが評価が高いのだろうか?時間をかけて話し合いをして、北朝鮮を何とか民主的な国へ導くことと、一気に爆撃をして北朝鮮人を皆殺しにして不安要素を取り除くことと、実際はどちらが支持されるのだろうか?

              何だか脱線してきたが、僕の考える「欲望」の中には自殺も他殺もあり得ないのだ。「欲望」とは常にポジティブなものであり、「無気力」も「欲望」を生み出すための大事なファクターだ。何もしたくないということは、何かがしたいことと同義なのだと思う。

              「夢を持つ」「夢を見る」ということは、「欲望」に近いとは思うが、大きな夢を見すぎると、その欲望が叶った先に待つものが自分の理想の世界だとは限らない。
              比喩的な表現をすると、自分のはるか上空には風が吹いていて、遠くに移動するためには、その上空の風に乗る必要があるのだ。いわゆるアメリカンドリームと呼ばれるものの正体は実はそのことであって、アメリカという国は上空に吹く風がとてつもなく強いのだ。だから、一度その風を捕まえてしまえば、とてつもない場所まで運んでくれる。ところが、あまりの風の強さに(なんてったってハリケーンの国だ)、全く制御不能で本人が意図しない所に連れて行かれるのだ。だから、カート・コヴァーンなんていう悲しい結末を迎えた人もいるわけだが、マイケル・ジャクソンしかり、マコーレ・カルキンしかり、チャーリー・シーンしかり、アメリカという国には愛すべき奇人変人がわんさかいるのだ。ああ、アメリカ。何て素晴らしい国。

              結局の所、自分の現在の能力に見合った強さの風を見極める気象予報士のような能力を養う教育がもっとあって良いべきなのかも知れない。石原良純は気象予報士として、実際の風を見極める能力は無かったかも知れないが、逆にそれが彼なりの良い風となり、現在はベストポジションを獲得している。ピョンピョン飛び跳ねているよりは、少しづつ歩いて移動しながら、適切な風に乗るというのが賢い生き方なんだろう。

              それにしたって、改名はしないよなあ〜。その同級生は、改名後より改名前の方がどう考えてもかっこ良い名前のようだったのでますます笑えた。

              良いお年を。

              New Order 新曲と、『僕の彼女を紹介します』に関して

              2005.02.01 Tuesday

              0
                最近、更新できませんでした。というか、時間はあるのですが何だか億劫になります。
                ブログに書いておこうかな〜というネタは常に考えてはいて、映画などもちょこちょこ観ているので、そのことについて書くのも良いでしょう。

                「カンフーハッスル」とか、「僕の彼女を紹介します」とかN・キッドマンの「ステップフォード・ワイフ」なんてのはなかなか良かったのですが、何だかもう機会を逃してしまいました。

                ぶっちゃけ「カンフーハッスル」は面白くなかったです。


                猟奇的な彼女

                「僕の彼女〜」は、クァク・テヒョン監督の過去作を観てきた方なら一番評価を低くつけることでしょう。明らかに総合的な面白さでは「猟奇的な彼女」だし、何も考えずに泣けるのは「ラブストーリー」です。「僕の彼女〜」はそう考えるとチト落ちる。
                しかし、どうしてでしょう?この作品、観終えてしばらく日数が経ち、作品の詳細が段々思い出せなくなっていくうちに愛情が芽生えます。今となっては、先に挙げた作品よりも僕はこの作品が一番好きです。
                何故こんなにもじわじわとこの作品はクルのか(コナイ人もいるでしょうが)?
                多分、「余韻」がこの作品は強いのだと思います。
                この作品は中盤を過ぎた頃に、主人公の女性は恋人に死なれてしまいます。この恋人の死が訪れるのが通常の物語から考えると非常にバランスが悪いのです。終盤で恋人の死があれば、それはそれは感動の物語になるでしょう。序盤で恋人の死があれば、その後の物語はその恋人の死を乗り越えるという目的も持ちつつ、別の人物を登場させて、もっと違う方向に発展させることも可能かもしれません。
                しかし、「僕の彼女を〜」では中盤に恋人がいなくなります。女性が主人公とは言え、物語はこのカップルが中心にありましたから、恋人を失った後の物語は「余韻」でしかありません。
                普通に考えれば恋人が死ぬのはあと15分〜20分は遅くても良いはずです。そのため、この作品は前半のコメディタッチとは裏腹に、後半は「余韻」のみで進んでいくというのが、僕の感じた印象です。
                そして、僕はこの「余韻」がたまらなく好きなのです。
                多分、もう一回観ない方がいい気がします。このままどんどん記憶が薄れていけばいくほど、僕の中で勝手に映画の余韻は増幅され、素晴らしい映画だったのだという幸せな勘違いをもったまま生きていけるわけですから。


                ラブストーリー

                さて、そんなことよりもNew Orderの新曲をこのサイトで視聴してあまりにも感激したので、久々に更新する気になったのです。
                かなりのブランクの後リリースされた前作「GET READY」は正直残念なアルバムでした。これだったら、New Orderは超超超名曲「Regret」を最後の作品として、華々しく散ったほうが良かったとさえ思いました。「GET READY」のいけてなさは、アルバムに参加してたビリー・コーガンのせいだと思います。思うに、憧れのNew Orderと一緒にやれることで少々彼ははしゃぎすぎたのではないでしょうか?そのため、「GET READY」は浮ついた印象があるのです。


                ゲット・レディー

                で、そのコーガンは参加してないであろう新曲「Krafty」は別に何がどうというわけでもなくいつも通りなんですが、あの名作「LOW LIFE」の一曲目にそっくりな気もします。若干ベースがブリブリいってる気もするけど、イントロからもう最高。「Regret」とどっちがいいかって言われたら「Regret」だけど、前作の「GET READY」でのギター色は無くなっている気がします(コーガンがいないからだと思う)。


                ロウ・ライフ

                この新曲を聴いて、続けることのかっこよさ、素晴らしさを改めて実感しました。「継続は力なり」とはよく言ったもので、才能も実力も何も無くてもやりつづけてさえいればいつかは何物かになるかも知れない。New Orderの曲にはそういうポジティブさが感じられます。
                New Orderは、よくよく考えると、ミスチルで言えば、桜井氏が死んでしまって残りのメンバーだけでバンドを始めてしまいました、というような後ろ向きな経緯を経て今の形があります。歌も上手くなければ、楽器も下手。ルックスも特にこれといった特徴も無し。でも、センスだけはピカイチで、そのセンスのみで彼らは生き残ってきたのかもしれません。

                解散を決めたSUPERCARですが、結局のところ、彼らの魅力は4人が醸し出すセンスであって、個々にミュージシャンとしての魅力や才能があるかどうかははなはだ疑問です。ロッキン・オン・ジャパンのインタビューを読んだら、解散に関してはジュンジが一人明確に反対の立場をとってました。彼は、続けていくことの方が難しいし、そっちの方がずっとかっこいい、といったような主旨の発言をしてました。僕も全く同感です。
                失恋相手にいつまでもこだわってしまってはただのストーカーになってしまいますが、恋愛以外のことに関しては、しがみついてでもやめない、ということも一つの正解だと僕は思います。潔く諦めるというのも正解だと言うことはわかるけど。

                まあ、New Orderも解散状態のようになってから復活したりしてるし、クイーンだって、ボーカルを変えてまで復活してるし、気づけばTHE WHOがニューアルバムを出すらしいし、あんまり解散を重たく考えず、10年後くらいにSupercar復活して欲しいもんです。ラストライブのチケット取れるといいなあ。

                New Order 新作は3月に出るらしいです。絶対日本盤買う。

                『梅の日は誰かの命日』

                2005.01.19 Wednesday

                0

                  夢を観たらしいのだが、どんな内容なのかは全く覚えてはおらず、何故だか「梅の日は誰かの命日」という言葉だけが残った。

                  そもそも「梅の日」なんてものがあるのかどうかすら知らないのだが、多分ネットか何かで調べればわかるだろうと、会社に着くまでの間「梅の日は誰かの命日」という言葉を忘れないように何度か繰り返し頭の中で唱えてみた。

                  で、「梅の日」で検索してみると確かに存在した。
                  どうやら6月1日がその日であり、梅の実が熟す最初の日と言われていることから、大阪府摂津市の梅研究会が1987(昭和62)年に制定したとのこと。しかしながらこちらのサイトを見てもらえば分かるように、6月1日は、チーズの日であり、麦茶の日であり、チューインガムの日であり、マリリン・モンローの日であり、スーパーマンの日であり、TUBEの日でもあるわけで、要は毎日が何かの記念日であり、腐るほど存在する記念日の中の一つが「梅の日」なのだ。

                  この世界に存在するありとあらゆるモノに対して、「ナントカ協会」とか「ナントカ研究会」なんて団体は存在する(多分)。耳かきだって、爪切りだって、鼻毛抜きにだって、コンドームにだって、コカインにだって、ヘロインにだって、万物には「ナントカ会」が存在する(多分)。

                  そんな星の数ほど存在する「ナントカ会」が記念日を作り出しているのだ。国民の休日とすることは難しくても、実は「ナントカの日」を作り出すことは意外と容易なことなのではないかと思った。そんなモノを申請する機関などが存在するのだろう。

                  「ミニにタコ」であの男が逮捕された日を「ミニスカートの日」などと定めれば良いのではないかと思ったら、既に10月18日がそうらしく、1967(昭和42)年、イギリスから「ミニの女王」ツィギーが来日し、ミニスカートブームが起ったことが由来だそうだ。納得。だったら、むしろ「ミニスカートをはかない日」にした方がよいかも。

                  古賀潤一郎が衆議院選挙で山崎拓を破って当選した日を「新エイプリルフール」と定めるのも良いかも知れない。そもそもエイプリルフールが1年に1回なんて少なすぎる。しかも、4月1日なんて多くの人にとって生活の変わり目であることが多く、そんな重要な日にのんきに嘘なんてついてられない。

                  さて、問題の梅の日が誰の命日なのか?
                  そんなことを調べることも、今の電脳社会ではいともたやすいことで、「6月1日 命日」とGoogleで検索。
                  http://www.d4.dion.ne.jp/~warapon/data04/death-0601.htm
                  すると、ずらずらと6月1日に亡くなった有名人の情報が出てきたが、この中で誰でも知っているであろう人は、ヘレン・ケラー、徳川家康、そして杉田玄白だ。



                  「梅の日は誰かの命日」とは一体なんだろう?僕はどんな夢を見たのか?梅ではなく桜であたなら、もう少し何か暗示めいたものが感じられただろう。桜には死のイメージが付きまとうし、桜の木の下には死体が埋まっているなんてのはよく聴く話だ。

                  ヘレンケラーとナイチンゲールとキュリー夫人の区別があまりつかない。
                  うろ覚えだが、ヘレンケラーといえば、視覚と聴覚が生まれつき不自由で、サリバン先生はヘレンに“水(water)”という言葉を覚えさせるため、ヘレン手に水をかけた後、手のひらにWaterという文字を書くということを何度も繰り返し、水がwaterというのだということを理解させたという話が有名だ。ヘレンケラーが何をした人なのかを僕は知らない。


                  解体新書

                  杉田玄白と言えば、久米田康治という『勝手に改蔵』というギャグ漫画でおなじみの漫画家の出世作『南国アイスホッケー部』を思い出す。まあ、要は下ネタのダジャレ漫画なんだけど、杉田玄白にひっかけたキャラが出てきた。『解体新書』にちなんで、『カキタイ新書』とか。要は極上のエロ本というオチだった気もするけどもう思い出せないなあ。『ターヘルアナトミア』にもひっかけたギャグもあった(大体想像はつくが)。多分前野良沢も出てきたのだろう。「スコスコスコ」という今となってはもう笑えない擬音が印象的だった。


                  行け南国アイスホッケー部

                  で、『南国アイスホッケー部』と言えば、僕の中学の同級生であったハナワを思い出す。ハナワと言っても、ちびまる子ちゃんの花輪君では無い。塙保己一の塙だ。中学3年頃から何となく疎遠になって、そのままだが、彼は『南国アイスホッケー部』がほんとに好きだったなあ。杉田玄白のことを考えたら、『アイスホッケー部』をアイツと一緒にかなり楽しんでいたことを思い出した。
                  今も元気でやってるのだろうか?

                  年末年始メモ2 紅白歌合戦

                  2005.01.08 Saturday

                  0
                    31日
                    日本に紅白歌合戦を楽しみにしている26歳の独身男性はどのくらいいるのだろうか?大抵、紅白を軸にチャンネルをザッピングしていくのだが、今年はほぼ紅白を最初から最後まで観る形となった。格闘技などには一秒たりともチャンネルが合わさることは無かったのだ。

                    TVが新しくなりハイビジョン放送が観れるようになり、紅白を地上波ではなく、デジタルハイビジョンで観ることで、紅白の真の姿を知った。画質が格段によくなり、ステージに奥行きが加わり、今まさにNHKホールにいるかのような臨場感!照明の美しさに今更ながらNHKスタッフの技術力の高さを知る。
                    視聴率が大分下がってしまったようだが、決して内容は悪いものではなかったと思う。

                    気志團はしっかりと『one night carnival』を熱唱し、その他の企画でもわかりやすいビジュアルで大活躍だった。大御所演歌歌手との相性の良も際立ったようにも思える。SMAP不在の今回、バラエティのノリがわかっている男性グループとしてTOKIOと並んで重宝がられたようだった。


                    マツケンサンバII 振り付け完全マニュアルDVD?

                    今回の最大の見所であるマツケンサンバは圧巻の一言。紅白で画面を4分割にするという演出は初めて見たかも。これからの紅白定番曲としてがんばってほしい。『マツケンサンバ3』も出るらしいし。今度は、NHKホールを飛び出して、どこか天守閣のある大きなお城を利用して史上最大規模のマツケンサンバを繰り広げて欲しい。

                    マツケンサンバはノリノリだったが、島倉千代子『人生いろいろ』も改めて聴いてそのノリノリっぷりに驚愕。多分アナログとかでハウスリミックスとか出てるんだろうなあ。個人的にはサビに行く前のBメロが最高。

                    そして布施明の『マイウェイ』。「今、船出が〜」と日本語歌詞のバージョンを改めてじっくり聴くと、かなり無理やりなことに気づく。何であんなにシャンソンみたいな字余りが多いんだろう。で、日本語歌詞に「マイウェイ」という言葉は一度も出てこないことにも気づいた。それにしても布施明の声量は凄い。「世界中に届けこの想い」という感じだ。
                    しかし、『マイウェイ』という曲は良い曲だ。

                    ジョン・健・ヌッツォの『新撰組のテーマ』は絶対に外せない。ラ〜ラ〜ラ〜と歌われるソロパートを経て、中盤からバックにコーラス隊が登場。真ん中にはあの「誠」の旗が!テレビの前で気分はもう幕末。「いとしき〜友はいずこへ〜、この身は〜露と消えても〜」結局年末年始はこの曲が頭から離れず、気づくと口ずさんでいた。

                    和田アキコは新曲を歌いたかったらしいのだが、結局は『あの鐘を鳴らすのはあなた』を熱唱。彼女の紅白にかける想いの強さはなみなみならぬものがあるのだろう。歌のときの気合の入り具合、緊張感は、毎年このとき以外観ることはできない。

                    若手男性陣のつまらないこと。Nobody Knowsとかひどい、雑音。CHEMISTRYはいつの間にやらつまらない歌を歌うようになったなあ。なんでDA PUMPが出てこないのか?EXILEなどどうでもいいからDA PUMPを見せてくれ。


                    じょんから~ベスト

                    今回は長山洋子がベストアクト。三味線をかき鳴らしながら、歌う『じょんから女節』のかっこいいこと。全くノーマークだったので、歌い出しを聴いたとき家族全員で「おっ」と思った。これといった代表曲が見当たらない歌手だったのでやっと努力が実ったという感じだろうか。

                    イ・ビョンホンが挨拶に出てきたときが最も盛り上がったのが象徴的。GACKTとかにキョトンとしていたおばさま達は狂乱の渦を巻き起こす。もし、あれがヨン様だったら、今年の紅白は大荒れだったに違いない。でも、一年の最後にヨン様が出てきたらもの凄くきれいな終わり方だったなあとも思う。


                    童謡ベスト (CCCD)
                    由紀さおりと、安田祥子の姉妹が出ていないことがショック。あの驚愕の『トルコ行進曲』を聴かずして年を超さねばならぬのか(別に毎年歌っていたわけではないけど)。ティアララルン、ティアララルン〜。

                    なんだかんだ言っても、今回の紅白もなかなか面白かったよ、海老沢会長。とりあえず、受信料支払い拒否などというセコいことはしないので、これからも良い番組を作っておくれ。年々、NHKを観る割合が多くなってるので。
                    いつか、生の紅白を観に行きたいなあ。
                    ナッチの不在はさほど影響無し。

                    つづく

                    年末年始メモ 雪の仙台 ガキの使い ハウル に関して

                    2005.01.07 Friday

                    0
                      2004年
                      12月29日
                      仙台駅に着くも、やっぱりの雪降り。「やっぱり」とは、朝、家を出るときも雪がコンコンと降っていたから。東京で降っているのに、仙台で降っていないわけが無い。すぐ止むかと思われた雪は、結局このあとズンズンと降り積もり、大晦日の仙台はもの凄いことになってしまった。何年かぶりに雪かきをした。


                      「嵐を呼ぶ男」

                      世界が自分を中心に回っているなどとは、思わないが、自分はつくづく天候の神に嫌われていることを実感。しばらく家を留守にするから駅までは自転車ではなく、徒歩だ。しかも、荷物はべらぼうに重い(ノートPCを持っていくか迷ったがやめて正解だった。)こういうときに限って空は晴れてはくれない。東京に限らず、仙台でもこんなに雪が降ったのは今シーズン初とのことで、またしても、僕を待ち受けていてくれたかと打ち震える。「またしても」とは、いつぞやの年末年始も、やはり僕が帰省した日から雪が降り始め、僕が帰京した翌日から太陽は顔を見せた。
                      もちろん、東京では雪が降り始めたさ。
                      「嵐を呼ぶ男」ならば裕次郎だが、僕の場合は、「中途半端な雨雪を呼ぶ男」と言えるかも知れない。でも、そんなことは僕の思い込みであるはず、B型がガサツだと言われれば、無意識のうちにガサツな自分を演じてしまうようなもので、あらゆる事象を自分と関連付けることはそんなに難しいことじゃない。

                      実家では、液晶薄型テレビと、HDDレコーダーを購入したばかりで、雪も止まないので、年末年始はテレビ三昧だ。衛星でちょうど再放送していた『冬ソナ』がたくさん保存されていた。我が家では2004年末に韓流ブーム到来だ。


                      「ガキの使い 24時間鬼ごっこ」

                      夕方、前日録画しておいた「ガキの使いSP 笑ってはいけない温泉宿」を観る。相変わらず面白いことは面白いのだが、どうも今年は切れが悪い。罰を受ける側と仕掛ける側の分かれかたの問題だろうか?前回の、「温泉宿」は、松本、ココリコ、山崎の4人が罰ゲームで、浜田一人が仕掛け人側という構図だった。今回は、浜田、ココリコ田中、山崎の3人が罰ゲームで、松本、ココリコ遠藤が仕掛け人である。この3対2という構図も中途半端でいけない。一番の理想は、浜田、ココリコ、山崎の4人が罰を受ける側に回ることだ。あの「24時間鬼ごっこ」と同じ編成がもっとも面白いと思う。


                      ハウルの動く城

                      12月30日
                      雪は結局降り積もり、父のゴルフの予定が無くなったので、親子3人でシネコンに『ハウルの動く城』を観に行き、3人揃ってしばし感動。近くのちびっこがつまらなそうにしていたが、「これは子供じゃ無理でしょう」と、親子揃って結論付ける。思い返すと、明確な敵を倒すわけでも無く、抱えていた問題は何とはなしに解決するという、注目度の高い中、かなり思い切った物語だなあ。でも、千と千尋とか、もののけよりずっと良かった。ソフィーの眉毛とか倍賞千恵子そのまんまだったが、あれは声優をあらかじめ決めてからキャラを描き始めているのだろうか?
                      キムタクの声はやはりいい。


                      そっけないジャケット

                      『2046』の冒頭はキムタクの日本語ナレーションから始まるのだが、あれも結局ウォン・カーウァイがキムタクの声の良さを買ったからだ。宮崎駿とウォン・カーウァイという2人の巨匠が同時期に目を付けたということに何か関連はあるのか?あるいは、キムタクサイドから売り込んだだけなのだろうか?う〜ん、それにしてもいい声。もう30を過ぎてるのに、未だに思春期を終えたばかりの若者のような潤い。


                      魔女の宅急便

                      僕が一番好きなジブリ作品は『魔女の宅急便』。うちの両親は高畑勲作品の方が好みらしく、しきりに『おもひでぽろぽろ』を薦めた。そういえばまだ観てない。


                      おもひでぽろぽろ

                      →年末年始メモ△紡海韻泙

                      2004年も終わりました

                      2004.12.29 Wednesday

                      0
                        今年ももう終わりです。
                        何となく今年観た、聴いた、読んだものでベスト1を自分で決めてみました。


                        映画:『アメリカンスプレンダー』
                         悲しい泣きました。ほんとは『スパイダーマン2』ですが、それじゃちょっと普通なんで。


                        POPS:スリルズ『Let's Bottle Bohemia』
                         CDいっぱい聴きすぎて覚えてません。でも、今年出た中で、最も長く聴きそうなのはこれ。詳しくはコチら

                        邦楽だとサンボマスター以外いません。来月出るニューアルバムは必買でしょう。

                        『サンボマスターは君に語りかける』

                        漫画:山田玲司『絶望に効くクスリ ?ONE ON ONE』
                         読書3巻が最近出ました。素晴らしい対談漫画。世の中魅力的な人間はたくさんいるなあと思いました。2巻以降が特に素晴らしい。

                        あとは・・・色々あるような気もしますが、既に気に入ったものは書いているような気もします。実家に帰る準備をしなければなあ。