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2017.01.13 Friday

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    『2008年私的ベスト(漫画編&小説編)に関して』

    2008.12.29 Monday

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      JUGEMテーマ:漫画/アニメ


      次は漫画編。わざわざこれを書こうと思ったのは、特定の漫画作品があったわけでは無い。ヤングサンデー(以下YS)の休刊という大きな出来事が今年あったのだ。
      今年の7月いっぱいを持って、小学館の週刊YSが休刊となってしまった。僕は高校生くらいの頃から10数年愛読していただけにショックも大きかった。

      休刊のお知らせ
      連載作品の今後について

      連載作品は7月までで最終回を迎えるものもあれば、ドラマや映画にもなったような人気作品は小学館の他の雑誌に場所を移して連載が継続中である。問題は、他の雑誌に移れなかった作品だ。9月からビックコミックスピリッツの特別増刊として、月刊の形で連載を継続中である。要は月刊YSになっただけのような気もするが、増刊なのでいつまでも続くというわけでは無いのだろう。全ての連載作品が最終回に向かっているような展開を見せている。

      この増刊号の創刊号を読んで、僕は漫画の凄まじさを感じてしまった。先にも云ったように全ての作品が最終回に向かっているので、全てがクライマックスなのである。しかも、週刊の時に比べて1本毎のページ数の多さが尋常では無い。また、大物作家や人気作品はビックコミックスピリッツなどもっと売り上げの良い雑誌に移ってしまった。そこからあぶれてしまった(あえて移らなかった人もいるだろうけど)漫画家の悔しさ、気概のようなものが作品を通じてビンビン伝わってくるのである。週刊の時には何気なく読んでいた作品の一つ一つがこんなに面白い作品ばかりだったのかと感慨にふけってしまった。この雑誌には誰もが知ってるような作品は無い。漫画好きだったら知っているという中堅どころの漫画家達の作品が多い。希代のバカ首相いわく「とてつもない日本」の漫画文化を支えてきたのは、こういった中堅層の厚さだったのだと思い知った。

      毎月発売される度に、何本かの作品が最終回を迎えて行く。そんな漫画雑誌はかつて無かった。ここには、「まんが道」の時代から続く、漫画に愛を捧げたケモノ達の息づかいが確かに聞こえる。


      せっかくなので、他に単体で大好きな作品を挙げておくと、ヤングジャンプ連載中の、おおひなたごう「犬のジュース屋さんZ」を挙げておきたい。


      犬のジュース屋さんZ 1 (1) (ヤングジャンプコミックス)


      小説はそもそも今年のものにこだわって読んでいない。最近はカフカをちょろちょろ読んでいる。あとは、芝居を観に行ったこともあり、本谷有希子を読んでいる。この人本当に良いな〜。こういう気が小さそうでいて、邪悪な女性にす好かれてみたい。

      最後はその他・芸能ニュース編。

      『団地ともお』に関して

      2004.12.01 Wednesday

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        団地ともお(1)

        スピリッツ連載中の『団地ともお』ついに3巻まで出ました。この漫画、小田扉という方が書いているのですが、絵といい、物語といい、かなりレベルの高い漫画です。
        『団地ともお』はどこか懐かしい雰囲気の漂う関東近郊の町でしょうか?そこに建っているマンモス団地の中に住む、小学生のともおを中心とした群像劇です。ともおの家族や、学校の友達、団地の住民や、町の人々、単行本も3巻目なので、かなりのキャラクターが登場し、彼らの日常生活の中のちょっとした出来事に視点を当ててエピソードはつむがれます。
        基本的にはギャグ漫画の部類に属するのでしょうが、一つ一つのエピソードがかなり秀逸で毎週スピリッツを読む度に笑顔と、ため息が入り混じるような読後感を感じてしまうのです。

        小学生のともおが主人公ですが、決して「小学生の目から見た大人の世界」なんてありがちな感じの物語ではないです。視点はあくまで第三者、神の視点から描かれていると言えるでしょう。
        小学生達のエピソードに思わず、昔を思い出しほほえましい気持ちになれるのですが、この漫画の魅力は、その子供達を取り巻く大人たちの描き方にあると思います。


        団地ともお(2)

        キャラ自体が多いので、一概に共通点を断定することはできないのですが、あえて僕の印象から語らせてもらうと、『団地ともお』に出てくる大人達は皆、何かを失っている、あるいは、長年生きていく間に何か大事なことを諦めた人達、妥協をしてしまった人達と言えるかも知れません。かといって、何もそれはネガティブな意味で言っているわけではありません。そんなのは当たり前のことで、何も失わずに大人になるはずがありません。

        僕がこの漫画から感じるのは、大人と子供の境界線です。子供から大人になるということはどういうことなのか?年齢でもないし、セックスをしたから大人というわけでもありません。新しい何かを得る代償として他の何かを失いはじめることが大人なのかもしれないと僕は感じました。
        子供は様々な物事を吸収し、得ることができます。このまま無限に得ることができると思えるからこそ子供達は恐れを知りません。大人になると失うものを「子供の純粋な心」などという簡単な言葉で片付けるのもよいかも知れませんが、もっと具体的に言えば、家族や友人や恋人の死であるかもしれないし、過去の栄光であるかもしれないし、家や財産かも知れません。あるいは、仕事一筋に生きてきたために、いつの間にやら、自分の周りから家族も友人もいなくなっているということかも知れないしかつて心躍らせたものにいまや何の反応もできないという感受性の喪失かも知れません。自分の能力の限界を知るということもあるでしょう。

        この漫画に出てくる大人達(現実に住む僕らも全く同じでしょうが)は、皆そういうった喪失感を抱えて生きています。しかし、この漫画の素晴らしい部分は、こういった大人たちのエピソードが中心の場合、ふと疑問を感じた大人達は自分の失ったものを取り戻そうと試みるのです。その姿は時にこっけいでほほえましくもあり、共感を感じることができます。そして彼らは失った時間を取り戻すことはできないことを知り、自分の人生を肯定し、受け入れることができます。そうした大人達の力強さこそがこの漫画を支える最大の魅力といっていいでしょう。
        そのような大人達を見て、ともおをはじめとする小学生達はまだ100%理解することはできません。時には妙チクリンな解釈をしたりします。そのズレ具合がこの漫画に笑いを与えている源となっています。


        団地ともお(3)

        この漫画に出てくる高校生ぐらいのお兄さんお姉さんも、大人として描かれています。よく聞く、『低年齢化』という言葉があります。近頃は何でも低年齢化しています。それはどういうことなのかと考えると、まだ失わなくていい年齢なのに喪失が始まってしまっているということでは無いでしょうか?
        インプットなくして、アウトプットはありません。子供であるということは、自分を取り囲む社会から様々なことをインプットすることです。充分に年齢を経て、インプットしたものを熟成させて、今度は次の世代にアウトプットするのが大人です。
        ところが、まだ充分な年齢に達していないうちにインプットを止めてしまう、あるいは、周りの環境によって止められてしまった人が多くなっています。そうすると、早い段階からアウトプットが始まってしまいます。ところが、インプットが充分でなく、熟成もされていない中途半端な状態であるので、本来アウトプットされるべきでないものが、放出されてしまいます。それが、やり場の無い衝動や、制御不能の力となって、子供達を幼稚な犯罪に走らせているのかも知れません。

        『団地ともお』では、ともお達は、他愛も無いことで、他人を憎み、ねたみ、うらみ、それに伴う罪悪感にさいなまされ、他愛も無いことで、喜び、笑い、それを忘れていきます。時には、彼らは周りの大人達を見て、漠然と失うことの恐怖を覚えたりもします。

        この漫画が描く風景は、今は亡き懐かしい風景などではありません。これは僕の周りにある風景であり、あなたの周りにある風景でもあります。単なる平凡な日常の風景。小さな世界。しかし、そんな小さな世界が少し視点を動かすだけで、全く異なった大きな世界へと変化する、控えめに言えば、『団地ともお』はそのような漫画です。後世に残るよ、こりゃ。

        ヤングマガジンアッパーズ休刊に関して

        2004.10.22 Friday

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          講談社の『ヤングマガジンアッパーズ』が10月19日発売の号で休刊となりました。
          何ヶ月か前にその話は聞いてましたが、前号まで読んでいても本当に終わるのか、というような展開の連載が多かったのでどうなることかと思ってたんですが、やはり終わってしまいました。

          僕はこの雑誌を創刊号から読んでいました。大げさな言い方ですが、一つの漫画雑誌が生まれ、死んでいくまで付き合ったのは初めてです。そりゃあ、『アッパーズ』に比べたら、スピリッツや、ジャンプや、モーニングやヤンマガ等のメジャー誌の方が面白かったですが、それらのメジャー誌は僕が物心ついた時には既に存在してました。僕がコロコロコミックにしか興味が無かった時代からあったわけです。僕が成長して、あとからなんとはなしに読み始めたわけです。

          『アッパーズ』が創刊したとき、「とりあえずこの雑誌は面白かろうと面白くなかろうと読みつづけよう」などとわけのわからない決意を持ったことが思い出されます。雑誌の創刊号というのはやはりわくわくします。ましてや講談社という大出版社から漫画誌が新たに創刊されることなど珍しかったですから。

          ちなみに、新潮社の『バンチ』も、創刊から読んでいるという理由だけで未だに読んでます。特に楽しみな漫画が一つも無かったりするんですけど、何かあの「古さ」が妙に後を引いたりするんです。吉祥寺に編集部があるって、「アド街ッ区天国」でやってたし。

          さて、休刊になる漫画雑誌はどのように終わるのか、非常に興味のあるところでした。
          まさか、全部が全部尻切れトンボのように連載が終わってしまうとは思えません。
          いくつかの漫画は強引に終わりを迎えていました。(「戦いはこれからだ!」みたいな感じの終わり方です。)
          比較的、ナンセンスなギャグ漫画っぽいのが多い雑誌だったので、その辺りは特に終わり方も強引では無かったです。

          いくつかの名前の売れてる漫画家の作品は以下のような感じになってました。

          ○板垣恵介『餓狼伝』(原作:夢枕獏)…「近日中に超絶始動」、現時点では移籍先の雑誌は不明。公式サイト等にて近日中に発表されるみたいです。
          ⇒「バキ」の人ですね。
          ○桑原真也『[R-16]』(原作:佐木飛朗斗)…来春より「ヤングマガジン」にて『高校生編』が連載開始。『中学生編』の最終話は12/9発売のコミックス第5巻に収録。
          ⇒原作は「特攻の拓」の人。桑原真也は何の人だったけなあ。
          ○村枝賢一『RED』…2005/2/7発売の「ヤングマガジン」No.10から連載再開。
          ⇒「俺たちのフィールド」ですね。
          ○新井英樹『SUGER』…2005年に「ヤングマガジン」にて新章スタート。
          ⇒『宮本より君へ』『WORLD IS MINE』ですね。
          ○所十三『強行』(原作:横山秀夫)…講談社の他誌にて続編がスタート。(誌名不明)。
          ⇒漫画の方が『特攻の拓』の人。原作は『クライマーズ・ハイ』の人ですね。
          ○村田ひろゆき『ほぐし屋 捷』…2005年に「ヤングマガジン」にてシリーズ連載開始。
          ⇒ヤンマガに『バレーボーイズ』書いてるんだから別にもういいのでは?

          まあ、『ヤングマガジンアッパーズ』というくらいですから、ほとんどヤンマガに引き取られるというでした。
          新井秀樹とか、村枝賢一がヤンマガというのはちょっとイメージと違う気もしますが。



          最終号の表紙は柳沢きみおの『THE大市民』でした。毎号巻末に掲載されるこの漫画は作者そのまんまの作家が、時事的なことをいわゆる俺流に熱く語っている漫画で、言ってしまえば、日常版『ゴーマニズム宣言』といった漫画でした。柳沢きみおのライフワークのようなもので、アッパーズに連載する前から別の場所で連載されていた漫画です。多分またどこかの雑誌で連載するのでしょう。

          それからもうひとつ比較的巻末近くに掲載される連載に、堂高しげるという作家の『全日本妹選手権』という漫画がありました。言ってしまえばかなりのオタッキーな漫画なのですが、アニメなり漫画なり、かなりディープなオタクネタが皮肉と愛情に満ち溢れた語り口で語られる漫画がありました。書かれてることの半分も理解できないままに毎回読みながら、いわゆる秋葉系というか、幕張メッセ系なものを垣間見ることができて、非常に刺激的な作品でもありました。(「あずまんが大王」のパロディとして書いているような感じもしますが、「あずまんが大王」をちゃんと読んだことないのでよくわかりません。)

          これらの、『大市民』『全日本妹選手権』という2つの作品が、『ヤングマガジンアッパーズ』という雑誌の立ち位置を決定している精神的支柱だったのではないかと思います。『少年ジャンプ』で言えば、『ジョジョ』と『こち亀』にあたるのかと思います。

          少年漫画の乱雑さ、青年漫画の猥褻さ、オタクやオヤジ、ロリコンといったキーワードをごちゃごちゃに混ぜ合わせたB級テイストの数々。そのような雑誌が、講談社という大手出版社から出版されていたということから、日本の漫画文化の懐の深さがうかがえました。

          全ての漫画が面白すぎないということと、隔週という絶妙のタイミングからか、毎号楽しみに読んでたので休刊は非常に残念です。


          ラーメンズの小林賢太郎が「HANA-USAGI」という漫画を連載してたのですが、それの最終話にホロッときちゃいました。

          ロクニシコージ「コグマレンサ」に関して

          2004.10.13 Wednesday

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            こぐまレンサ(1)

            いわゆる質そのものが高く、なおかつ独創的な作品を生み出していると思えるのは、最近ではスピリッツだと思っている。

            漫画の話である。
            しかしながら、ヤングマガジンという雑誌は時折、クオリティだとかセオリーを無視したような、暴力的とも言える才能を見出すことがあるから不思議だ。(例えば古谷実。例えば望月峯太郎あたりか?)

            ロクニシコージもヤングマガジンが発掘した異形の才能の一人かも知れない。(僕が知る限りでは本格的な連載をしたのはヤングマガジンだけだと思う。)
            ロクニシコージという漫画家を知ったのは、「すべてに射矢ガール」という作品だった。頭に矢が刺さったまま生活しているアスミという女の子と、アスミのいる高校に転校してくる山田という男の子2人の物語で、一応学園ラブコメのジャンルに属するのだろう。


            すべてに射矢ガール(1)

            この「すべてに射矢ガール」はかなりオフビートなコメディではあるのだが、メインテーマとしては決して軽くはない。
            頭に矢が刺さっているという特異な状況が、少女のコンプレックスとなって、自己嫌悪の塊のように少女は心を閉ざしている。そんな少女が、山田という男の子と出会うことによって、次第に心を開き、ほのかな恋心をも知り、ついには自らのコンプレックスからも解き放たれる・・・・大げさな言い方をするとこのような物語だった。
            「すべてに射矢ガール」は多分それなりに連載当時から人気があった。特に派手な所は無いのに、気づくと中毒のようにその魅力に引き込まれてしまう力があった。
            頭に矢が刺さっているという、突飛な設定があるので、淡々とした日常生活を描いているだけで充分に面白いし、いくらでも続けられそうな気がしたが、連載は終わる。

            そして、年月を経て始まった新連載が「コグマレンサ」であった。単行本にすれば全2巻と、決して長くは無いのだが、通して読んでみればそれがいかによく練られたプロットであったかがわかる。

            「コグマレンサ」において、ロクニシコージは、作家として格段の進歩を遂げる。古谷実が「稲中」から「ヒミズ」、現在の「シガテラ」といった作品に到達するまでに、「僕といっしょ」「グリーンヒル」といった中途半端な感が否めない作品を経ることを要したが、ロクニシコージの、「すべてに射矢ガール」から「コグマレンサ」への進化は、「稲中」から一気に「ヒミズ」にまで到達したかのような進化である。

            「コグマレンサ」とはどのような話か?
            コグマと名乗る背中に羽の生えた天使か悪魔か人間かよくわからない不思議な少女が一応主人公であるが、最初の方は毎回読みきりの形で、様々なエピソードが語られる。そこに毎回、コグマが関わるという形だ。

            第1話でコグマは悪魔として登場する。売れない小説家が、悪魔と契約を結ぶために呼び出すのだ。彼は命と引き換えに、名作を書かせて欲しいと頼む。すると、ゴミ捨て場で1冊のノートを拾う。ノートに書かれていた日記が、あまりにも独創的で刺激的だった内容のため、その日記の内容を拝借して彼は小説を書き上げた。その小説は大ヒットし、作家は文壇の寵児にのし上がるが、その代償には悲劇が待ち受けているという話。

            あるいは、世界で最も不幸な人間をリストアップしたホームページを見た少年が、1位の人間の居場所を突き止めて確かめに行くという話。

            出会い系サイトで知り合った相手を擬似妹にしているうちに、やがて擬似父親、擬似母親もでき、擬似家族を形成していく話。

            四角いモノにしか愛情を感じることのできない男が、四角いビルに対して性的興奮を覚える話。

            どこか現代的なテーマを絡めながら少し不思議(SF)な人間模様が描かれ、そこに主人公のコグマが毎回少しだけ絡んでいくという、昔ジャンプで連載していた「アウターゾーン」スタイルである。(「死神くん」でもいいけど。)

            途中からコグマの出てこない話が随時挿入されていくようになる。
            一人の女子高生が何者かに拉致監禁され、気がつくと何も無い真っ白な部屋の中にいる。すると、彼女を監禁した男が現れる。彼は日本人のようだが、聴いたことの無い言語で話し始める。そして、彼女にその言語を覚えるように強制する。それ以外彼女に生き延びる道は無いと脅迫するのだ。
            彼は、ここは「チチェ」という国だと言う。そして、その国の言語こそがチチェ語であるのだ。


            こぐまレンサ 2 (2)ヤングマガジンコミックス

            この「チチェ」における話と並行して、コグマが偶然入学することになる高校での学園生活のエピソードが交互に語られるのだ。
            コグマの学園生活の中で次第にコグマという少女の正体にフォーカスが絞られていく。
            それと並行し、「チチェ」の謎も次第に解明されていく。

            漫画のタイトルである「コグマレンサ」から推測できるように、この物語は連鎖する物語だ。物語が佳境に入ると始めのほうに語られた一見バラバラに思えるエピソード達も連鎖の輪に加わってくる。それらのエピソードの一つ一つが結末に向けての伏線として語られていたのだ。

            もし、読んでみたいという人のためにネタバラシはしないようにあまり多くは語れないが、この作品の裏テーマとして現代アートに対する何らかの言及が汲み取れたりもする。

            ロクニシコージという作家の経歴などは全く知らないのだが、彼はもしかしたら美大、芸大等のアートスクール出身の漫画家ではないかと、僕は勝手に推測したりもする。
            彼の漫画表現の仕方がいわゆる生粋の漫画家とは少し異なると思うのだ。

            「コグマレンサ」の結末部分では、登場人物があまりにも多くを語りすぎる。彼の作品を通して言えるのが、いささか説明的すぎるのだ。しかし、本当に上手い漫画表現であればこのような説明的な部分はありえないと思う。

            わかりやすい例えだと、「スラムダンク」はラストに向かうにつれて言葉が無用のものになる。画力だけで全てを語れるほどに井上雄彦の表現力は進化するのだ。最終巻においては、もはや無音の境地に達していると個人的に思う。

            あるいは、ドラえもん第6巻の「さようならドラえもん」で、ジャイアンに一人で立ち向かったノビタは布団に入って眠りにつく。その傍らで、ドラえもんが静かに見守っている。その次のコマでは、変らない構図でノビタは眠っており、窓から朝日が差し込んでいる。横にいたはずのドラえもんだけがいなくなっているのだ。そして、ラストのコマで、ノビタは一人ぼっちでガランとした部屋で膝を抱えて座っている(このコマにはモノローグがあったが)。

            これらのような表現こそが漫画表現の最高峰の形なのではないだろうか?
            そういう意味でロクニシコージは漫画家としての技量はまだ足りないか、あるいは漫画という表現に特にこだわりは無いのかも知れないなどと、少し偉そうな推測ができてしまうのだ。

            しかしながら、彼のストーリー構成の巧みさ、登場人物達が時々口にする意味不明な言葉遣いなど、多くの点において異能の才を発揮している稀有な作家であることに間違いは無い。
            まだ読んでない人は是非!
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