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Waters of March (Águas de Março)
 2011年が終わる。

高樹千佳子の年間ベストディスクを選定した熱い記事に触発されて、自分も久々にそんな記事を書きたいものだが、時間がかかりそうなので今日のところはやめておく。

高樹千佳子の記事は以下のリンクになるので、全洋楽ファンは必読である。


今年最も感銘を受けたこと(文章、歌詞、行為と言い換えてもよい)だけを、取り急ぎ記録しておきたい。

10月、菊地成孔が自身のラジオ番組で、アントニオ・カルロス・ジョビンの「三月の水」をかける前に、訳詞を朗読した。
そしてその後、自身のサイトの日記に、補足と「三月の水」を掲載した。

前段に感銘を受けたと書いたが、感銘というよりは呆然としてしまう。
素晴らしいというより、ただただ凄まじい。
今年3月の大災害と結びつけて感じ入るという行為は、菊地氏にもジョビンに対しても失礼にあたるのかも知れないが、否が応にも心をとらえて離れない。

ただの菊地成孔信者の戯言と受け取られれば、否定しようも無い。

歌詞をここにも転載したいところだが、それはとても敬意を欠いたことだと思うので、以下のリンクを記録しておきたい。


今回は僕が書いた記事ではない。ただの記録。

ウェブ世界というものが存在し続ける限り、永遠に残り続ける備忘録。

メモ。





<追記>
とはいいつつ、最後の六行だけを転載することをお許しあれ。

  命 太陽
  夜 死
  夏を閉じる
  三月の水
  君の心には
  生きる希望


by gnyuske
| music | 04:25 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
シネセゾン渋谷閉館に関して
 シネセゾン渋谷が閉館する。

スクリーンが大きくて、好きな映画館の一つだった。


2002年頃から観た映画は大体記録にとっているので、

リストからシネセゾン渋谷で観たものだけを抽出してみたら、以下のような感じであった。

但し、2002年〜2004年までは記録がやや雑で、漏れているものが結構あると思う。

この時期に最も渋谷のミニシアター界隈によく通っていたのだ。


左から順に、鑑賞日付、作品名()、監督名となっている(一部省略)


2002

6/27  es[エス] オリヴァー・シュピーゲル

11/21 tokyo.sora()  石川寛

12/11 CQ()  ローマン・コッポラ

12/28 白と黒の恋人達() フィリップ・ガレル


2003

不明 右側に気をつけろ ジャン・リュック・ゴダール

不明 うまくいってる? ジャン・リュック・ゴダール

不明 ヒア&ゼア こことよそ ジャン・リュック・ゴダール

不明 NOVO[ノボ]()  ジャン=ピエール・リモザン

不明 ウェルカム・ヘブン アグスティン・ディアス・ヤネス

不明 ベアーズ・キス セルゲイ・ ボドロフ


2004

不明  エレファント() ガス・ヴァン・サント

12/27 恋に落ちる確率(デンマーク)  クリストファー・ボー


2005

5/29 コーヒー&シガレッツ()  ジム・ジャームッシュ

8/26 リンダリンダリンダ()  山下敦弘


2006

2/6   エリエリ・レマ・サバクタニ()  青山真治

10/10 パビリオン山椒魚()  富永昌敬


2007

1/8 スキャナー・ダークリー()  リチャード・リンクレイター


2008

1/13 ウィルコ・フィルム()  サム・ジョーンズ

2/25 人のセックスを笑うな()  井口奈己

4/16 パラノイド・パーク(米・仏)  ガス・ヴァン・サント


2009

無し


2010

2/11 ボーイズ・オン・ザ・ラン()  三浦大輔


2011

2月 エレファント() ガス・ヴァン・サント


もっと頻繁に行っていたと思ったら、思ったより行っていないことに気づく。

2004年以降は年に12回ってほとんど行っていないに等しい回数だ。

しかし、上映する作品の力なのか、映画館そのものが持つ力なのかわからないが、

渋谷の映画館の中では一番好きだった。


自分の履歴を観る限り、ヨーロッパ映画が減少し、邦画の上映される割合が多くなった。

邦画の中でも良い部類に入るものが上映されているとは思うが、かつてのミニシアター系の作品に客が入らなくなったのだなと改めて感じる。


2005年の「コーヒー&シガレッツ」を観に行った際、

2列くらい前に松田龍平が綺麗な女性と一緒に居た。

真っ黒な皮ジャンを着た彼は、ロビーで一人煙草を吸っていた

(当時はまだロビーで喫煙ができた)

「まあ、松田龍平ならジャームッシュは観に来るよな」と僕は思った。

慣用句の様な表現になるが、共に来ていたモデル風の美女は、

ジャームッシュの新作を楽しんでいたのだろうかとも僕は思った。


「恋に落ちる確率」とはどんな映画だったろう、全く思い出せない。

あえて検索もしないでおくので、僕は一生この映画のことを思い出すことができないだろう。

それ以外の映画は概ね思い出すことができるし、良い映画が多かったと思う。


2002年に観た『tokyo.sora』が最も印象に残っている。

あまりにも好きで、DVDも後から買った。

映画全編を貫くクリスタルガラスのような青い画面は、

そのまま僕にとってのシネセゾン渋谷の印象となった。


ほとんど、いや全く、音楽の無い静かな映画だ。

劇中の環境音と、劇場のある道玄坂の雑踏音が混じり合っているようだった。


ただ、映画を観る、楽しむ、意味を考える、メッセージを受け取る。

そんな当たり前のことでは無く、日常生活と地続きに映画を体験するということを初めて感じたのが、この映画『tokyo.sora』であり、シネセゾン渋谷という映画館であったように思える。


シネセゾン渋谷の入っているビルは、今ではユニクロが入っている。

僕がよく通っていた頃には、大好きなラーメン屋「味源」があった

(正確には吉祥寺の味源が好きなのだが)


映画を体験するということの善し悪しは、8割方映画館で決まると思う。

そういう意味で良い体験を与えてくれる映画館がまた一つ無くなることに、

ただただ寂しい思いが募るばかりだ。

| cinema | 00:44 | comments(0) | trackbacks(2) | ↑PAGE TOP
『1979年のクールキッズ』

  2010年8月11日、新木場STUDIO COASTにて、The  Smashing Pumpkins(以下、スマパン)のライブに行って来た。10年ぶりの来日であり、僕はその10年前のライブに行った記憶がある。

 1988年にシカゴで結成されたこのバンドは、1990年代のアメリカを代表するオルタナティブロックバンドだった。

 Vo/Gtでありメインソングライターのビリー・コーガンを中心に、ギターのジェイムズ・イハ(日系3世であり、日本名は井葉吉伸)、ベースのダーシー(女性)、ドラムのジミー・チェンバレンの4人がオリジナルメンバーである。


 全盛期は1996年にドラムのジミーが薬物で逮捕され解雇されるまでであり、それ以後もバンド活動を続いていたが、その後もメンバーの交代、脱退を経て、ビリー・コーガン以外は新しいメンバーに代わっている。


 スマパンは90年代アメリカを象徴するような名曲も生み出したと思うが、よくよく考えるといわゆるクールなバンドとは程遠い。ハードロック、ヘヴィメタル、UKニューウェーブを下敷きにした音楽性はお洒落とはとても呼べるものでは無いし、アルバムも近年は駄作と呼べるようなものばかりだ。世界一センスの良いロックバンドである、pavementには馬鹿にされている存在だった。


 しかし、僕のようなオールドファンにとって、それでも彼らを諦めきれない理由はただひとつ、いつかオリジナルメンバーが揃って完全な復活を遂げることだ。


 2005年にスマパンが活動休止中で、別バンドのZWANを解散させた、ビリー・コーガンは地元のシカゴ・トリビューンに全面広告を出した。内容はスマパンの再結成計画であり、オリジナルメンバーのイハとダーシーに向けて呼びかけるという内容だった(ドラムのジミーはZWANで一緒だったのでそのまままたスマパンに戻った)。


 この全面広告を観て僕はビリー・コーガンのその女々しさにしびれてしまった。

オリジナルメンバーでの復活。その夢はもろくも崩れ去り、ドラムのジミーですら去ってしまった悲しきビリー・コーガン。その彼が10年ぶりに来日したのだ。


 往年の名曲の数々は盛り上がった。最新の曲はさほどの盛り上がりは無かった。観客は正直である。皆、待っていたのは『Today』であり、『天使のロック』であり、『tonight tonight』であり、『ZERO』であり、『bullet with butterfly wings』であった。


 新メンバーを引き連れた悲しきビリー・コーガンは楽しそうに演奏していた。全盛期と比べてどうかなどと野暮なことは言ってもしょうがない。バンドの演奏はさすがアメリカのバンドだという安定感があった。

 ドラマーは若い男の子で、観客も含めて会場にいた誰よりも若かったかもしれない。悪くはなかったが、立体感に欠けるドラムだったように思える。スマパンはギターのディストーションで音の粒をつぶしたような音質であるので、どうしてものっぺりとした曲に聞こえがちなのだが、そうした平面的なサウンドに厚みを加えていたのが、前ドラマーのジミーであったと思うからだ。


 過去に僕が1番目に愛した曲と、2番目に愛した曲は演奏されることは無かった。

1番に愛した曲は、『mayonaise(マヨネーズ)』

好き過ぎて、僕は自分が所属するバンドで臆面も無くこの曲をパクった。正確に言えば、レディオヘッドの『fake plastic trees』混ぜ合わせて砂糖醤油をかけたような曲だった。しかし、演奏している時はいつもスマパンを思い浮かべた。これはこれで楽しかったのだ(レディオヘッドとスマパンなんて今考えるとちょっとアレで恥ずかしいけど、20歳くらいの時の話なので勘弁)。

10年前のライブでも演奏はしていなかった。オリジナルメンバー原理主義者として妄想するならば、メンバーが一人でも欠けたら演奏しないという、バンドにとっても思い入れの強い曲だったのかも知れない。


↓は、この曲のPV。初めて観た。ガス・ヴァン・サントっぽい!

http://www.youtube.com/watch?v=dmgnWzcUww0&feature=related


2番目に愛した曲は、『1979』

これはPVが好きだった。これも何だかガス・ヴァン・サントっぽい!↓

http://www.youtube.com/watch?v=NNwu3b3mid8&feature=fvst


Dragon Ashがサンプリングして大ヒットした、『Today』はライブ序盤で演奏された。会場中で大合唱だ。歌詞が覚えやすいし、内容は青春の匂いがプンプンと漂ってくる。


以下、『Today』より抜粋


今日はいままで最高の日

明日のためになんか生きられない

明日はあまりにも長すぎる

ここを出るまでに両目が焼き尽くされてしまう


帰り道、演奏されなかった『1979』を聴く。

深夜、人のいない吉祥寺ストリートを、行儀悪く歩き煙草で闊歩すれば、「1979年のクールキッズ」にいつだって戻ることができる。


以下、『1979』より抜粋


1979年の徹底捜索 クールなキッズにはいつも時間がない

ストリートのすぐ上の電線で、僕と君は出会うべきだ


忘れ去られ、土の下に吸収され、ストリートに熱されて、音は緊急性を増す

ご覧の通り ここには誰もいない



| music | 02:22 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
『世界で最高のロックバンドが2組も来日した4月』
  PAVEMENTのライブに行く、4月7日、新木場スタジオコーストにて。
 Wilcoのライブに行く、4月23日、ZEPP TOKYOにて。

wilco

 アメリカで、いやさ世界で最高峰のロックバンドが2組来日した2010年4月は記憶忘れ難い月となった。
 PAVEMENTは約10年ぶりの再結成でどうなっているかと思ったが、予想外の力強い演奏で、ローファイだとか演奏がヘロヘロだとか言われていたのはいつのことやらと感じた。
 wilcoはキャリアの長いバンドであるが、現役感をバリバリに備えた安定感のある演奏を2時間強に渡って繰りひろげた。

 2組とも大体客層は似通っているのかと思っていたが、決してそうでもなかった。PAVEMENTの客層がわかりやすいくらい音楽オタクぽい奴らの集まりで、wilcoの方は外国慣れしたようなイケイケの感じの奴らが集まっているように思えた。実際、外国人の数も多く、PAVMENTのときはMCが何を言っているのかよくわからず、笑いを取るということは少なかったのに対して、wilcoはしゃべりで会場が笑いに包まれる場面が多く、このあたりも現役のライブバンドたる貫禄を見せていたように思う。

 ただし、そんなことはライブの素晴らしさを判定する上で大した要素では無い。どちらが良いとの判断は難しく、好みによるだろうと思う。wilcoが、緩急使い分ける安定したピッチングなのに対して、PAVEMENTはど真ん中の豪速球で勝負といった感じだろうか。何だったら、ボールが炎に包まれているかのような、豪速球ぷりだったのだ。

pavement

 僕は31歳にもなって、ようやくロックとは何なのかということを本気で考え始めている。ロックとは本質的に馬鹿馬鹿しさを持ち合わせている音楽だと思うのだ。いつからか、誰のせいかわからないが、シリアスになり過ぎたのだろう。ロックの持つ、根本的な馬鹿馬鹿しさを唯一、持ち続けたのがPAVEMENTというバンドだった。もし再結成したPAVEMENTからそういった馬鹿馬鹿しさが失われていたとしたら、フロントマンであるマルクマスはきっと再結成ライブは一度きりでやめていただろうと思う。対して、wilcoというバンドは、こういった馬鹿馬鹿しさを持ち合わせているわけでは無い。
 
 どちらのライブが良かったなど、判定するのはナンセンスだということはわかっている。しかし、今回はあえてwilcoに軍配をあげたいと思うのだ。PAVEMENTは、今年のSUMMERSONICに出演するという話を聞いている。そういった野外フェスでこそ、PAVEMENTの本領を発揮するだろうと感じるからだ。フェスの場でこそ、PAVEMENTが持つ「悪ふざけ感」は、より際立つだろうと思うし、僕はそのことを切に願っている。





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| music | 01:53 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
阪神・淡路大震災15年特集ドラマ「その街のこども」に関して


その街のこども

http://www.nhk.or.jp/hisaito/sonomachi/


NHKにて、1/17に放送した「その街のこども」を観た。脚本が渡辺あや、音楽が大友良英という魅力的なラインナップが直接の動機だ。


 実際にそうだったらしいのだが、森山未来と佐藤江梨子(以下サトエリ)の役柄は、それぞれ小学四年生と中学一年生の時に震災を経験している25歳と28歳の男女だ。十数年ぶりに訪れた故郷の神戸で、偶然出会った二人の一夜が描かれたドラマである。


 サトエリ演じる女性は、震災で親友の女の子を亡くしている。

 また、森山演じる男性は、建設業を営んでいた父親が、震災に乗じて代金を10倍にふっかけて大儲けし、会社が大きくなり東京に出てきた。父親が、困っている人達の足元を見て、ある意味あこぎな商売をしたことで、地元での評判が悪くなり、その子供であった森山も学校の友達から無視されるようになったというような心の傷を抱えていた。

 少年野球の試合で、サヨナラホームランを打ったのにもかかわらず、監督、コーチも含めて誰からも祝福されなかったと語るエピソードは胸を打つものがあった。


 内容が非常に良いドラマだったのだが、僕が魅力を感じたのは、それよりもドラマの根本を貫くスタイルの方だった。

このドラマは、言ってしまえば二人の男女が深夜の神戸の街を歩きながら、ただただ対話、時には独白をするだけのドラマなのだ。

 想起されるのは、リチャード・リンクレイターの「恋人までの距離(ディスタンス)」「ビフォア・サンセット」の二作だ。これらの映画も、主演のイーサン・ホークと、ジュリー・デルピーが、東欧の街とパリをただ歩きながらとりとめも無く話すだけの映画である。


 僕はこういうドラマのスタイルが好きなのだろう。ただ二人の人間が話をするだけ。街を歩き回るというのが一つのポイントではあるだろうが、結局わかりやすいような大きなドラマは無い。登場人物達が安易に日常から逸脱することも無い、そういうドラマが好きだったのだということに気づいたのだ。


 人が美しい思い出として記憶していることとはどんなものがあるだろう?家族と旅行に行ったことだろうか?修学旅行だろうか?甲子園出場を決めたことだろうか?大学のサークル仲間と飲み明かしたことだろうか?海外を旅して回ったことだろうか?バンドを組んで学園祭でライブをしたことだろうか?

 いや、それはそれで美しい思い出かも知れないが、本当はそうではないだろう。集団やグループで何かをした、成し遂げたということよりも、最後に残るものは、「誰かと二人でいた」ということなのでは無いだろうか。


 僕が思い出すのは、誰かと二人で話をしたこと、それだけなのだ。家族親族、男友達、女友達、恋人、苦手だった人、嫌いな人、たまたま知り合っただけの人、名前すら知らぬ人、想いの届かなかった人、そうした人達と、嘘も真実もごちゃ混ぜになったとりとめも無い会話を繰り返したこと、言葉を探しながら話を続けたこと、それらが時にぼんやりと、時に鮮明に思い出されるのである。


 集団で行動したことは、自分が忘れても誰かが憶えている。しかし、二人だけで過ごした時間は、その二人だけしか知り得ない。他の誰にも知り得ない。だから人は忘れないのかも知れない。当事者の二人が忘れてしまったら、その時点でその時間はこの世に存在しなかったことになる。そういう儚さが「誰かと二人でいる」ということには常に隣り合わせで存在する。


 このドラマにも、リンクレイターの映画にも、そういった儚さがずっと付きまとっていた。だから、僕はこのドラマのスタイルに魅力を感じたのだ。


 ドラマを観ながら、映像で描くフィクション(映画・ドラマ)と文字で描くフィクション(小説)で描くことのできることについて考えた。

 映像表現は、徹底的に視聴者の記憶を呼び覚ますものを描く以外に無いと思う。既視感、ノスタルジア、そういったものは映像ならでは強みだ。震災を経験しなくとも、年齢、職業が異なろうとも、サトエリと森山の散歩と対話は僕の記憶を刺激した。誰も観たことも無いようなことを映像で表現することはできないし、する必要も無いのだと思う。

 比べて、文字表現、すなわち小説は常に誰も見たことも無いような世界を表現するべきだし、それしかできないのだろう。いくら文字で表現をしつくしても、そこに描かれるものは、どこにも無い街のどこにもいない人々だ。映像が後ろを向いているのに対して、文学は前を向いていると言い換えても良いのかも知れない。そして、どちらが優れているということも無い。どちらも存在していてほしいと思う。


 優れた映像フィクションを観ることで、僕は既視感を憶えつつも目の前の美しい映像と僕の何てことの無い記憶が混じり合い、僕の記憶が緩やかに書き換えられていく。そうやって「美しい思いで」は作られ、輝きを増していく。

 優れた文学を読むことで、僕は日常を逸脱し、知り得ることの無い世界を知ることができる。


 こういったものに興味が無い、触れることも無いという人も多いだろう。そうした人達はどうやって、思い出を美しく変えているのだろう?どうやって日常を抜け出しているのだろう?時にもの凄く現実的な人はいるが、それはそれである意味「強さ」を持ち合わせているのだと僕は感じている。


| cinema | 02:39 | comments(3) | trackbacks(2) | ↑PAGE TOP
アイ・リメンバー・ユー
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常磐貴子が結婚した。

で、話は飛ぶのだが、「芸能人で言うと、好みのタイプの女性(男性)は誰?」何て言う会話は、使い古されてはいるが、どんな飲み会などでもひとしきり盛り上がる話題の一つだ。
で、僕はと言うと、ここ数年はずっと宮崎あおいだと言っていた。胡散臭い噂の絶えない男と結婚してしまってからも、意固地になって言い続けているわけだ。じゃあ、実際に宮崎あおいのような女性を探し求めて恋愛をしたりするのかというと別にそんなことは無い。まあ、本気でそう思っていたらとてもじゃないが一生結婚などできようが無いからだ。
当然、飲みの席でのたわいのない話のタネの一つであり、まあ現実の自分の生活に食い込んでくるなんてことは無いわけだ。
しかし、現実の生活に若干食い込み気味だなと思う女性芸能人が、常磐貴子だったなと、彼女の結婚を機に改めて感じた。
誰しも、好きになりやすい容姿(顔)というのはある。通奏低音のようにずっと僕の中にあった顔は常磐貴子だったのだろう。

そういえば、彼女の出ているドラマはよく観ていた(映画はちっとも良いものに出てくれないけど)。
その中でも一番好きだったドラマが2001年に放送された「カバチタレ」という深津絵里と共演した、漫画を原作とした行政書士のコメディドラマだった。


このドラマの何が良いって主題歌の「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」という曲だった。
作詞が安井かずみ、作曲が加藤和彦だった。
wikipediaによると、加藤和彦がロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』を意識して作曲した曲といわれているこの名曲は本当に素晴らしくて、ドラマのオープニングで初めて聴いた時は、あまりにもフィル・スペクター風で思わず笑みがこぼれてしまったことを思い出す。

キタキマユ - Do You Remember Me(you tube)

作曲が加藤和彦だと知ったとき、それがあのフォーククルセイダーズ、サディスティック・ミカ・バンドの人だとは到底思えなかった。

歌詞が本当に良い。

あなたに一日会えないと
それだけで人生にはぐれた
そんな気がしてた 恋する女 そんな私を
Do you remember me

真夏の太陽がきらめく
砂浜で今でも憶えてる
それはしあわせになりたいと言った そんな私を
Do you remember me
Do you do you remember me

月日がたつのは早いものだと
あなたもまた そう思うでしょうか

やがて別れの日がくると
おたがいに感じ始めた頃
ひとり旅に出た私を探しに来てくれた事
Do you remember me
Do you do you remember me

月日がたつのは早いものだと
あなたもまた そう思うでしょうか

you tubeで検索してオリジナルの岡崎友紀、永作博美のribbonなど様々なバージョンが聴けたが、やはりこのキタキマユのバージョンが一番良かった。
「砂浜」という単語が歌詞に出てくるが、まさにその砂の中にキラキラと輝く金が混じっているような輝きがキタキマユのバージョンにはあったのだ。

加藤和彦が亡くなった後、もう一つ自分の人生の中で彼の曲が関わった出来事を思い出した。中学校1年生のときの校内合唱コンクールで「あの素晴らしい愛をもういちど」を歌ったのだ。


誰が選曲したのかはわからないけど、今にして思えばなかなかセンスのある選曲だったと思う。当時中学生の僕には、何とも大人を感じる歌詞だったことを思い出す。
出だしが、「命かけてと誓った日から〜」なのだ。中学生に理解できるわけも無い。

メロディラインが美しくて好きだった。
二番の「赤とんぼの唄を歌った空は〜」の部分を歌うと、一気にメロディが加速していくような心地良い感覚を感じることができた。
「あのとき〜」というBメロの後で、サビの「あの、素晴らしい愛を〜」となる部分が大げさに盛り上がるのでは無く、少しテンションが下がるメロディが新鮮だった。

ここからが僕の完全なる妄想だが、この曲と対をなす曲、アンサーソングとも言えるような曲が、サザンオールスターズの「ミス・ブランニュー・デイ」だったと思うのだ。
メロディの展開がそっくりである。Aメロ、Bメロで加速して、テンションを上げていくメロディライン、そしてサビが一番テンションが低く、音階の幅を狭めている点がまさにそっくりだ。
「あの素晴らしい愛をもういちど」が真剣な愛の歌だったのに対し、「ミス・ブランニュー・デイ」の歌詞は徹底的に軽い愛を歌っている。これは桑田圭祐による、「あの素晴らしい愛をもういちど」への皮肉でもあり、敬意でもあったのでは無いだろうか。

桑田圭祐が加藤和彦に関して何か語っていたかどうかは思い出せないが、相当影響を受けていたのでは無いかと類推できる。いつか加藤和彦の死について語るときは来るのだろうか。

加藤和彦のソロアルバムなどを聴き直したが、どうにも歌い方がメタメタしていて、あまり景気の良いものでは無かった。
彼は歌声を残すというよりも、曲そのものを残してこの世を去ったのだろう。
それだけでミュージシャン冥利に尽きるものだろうと思うのだが、彼はそれが不満だったのかも知れない。
自分の歌声が残るべきものでは無いことに早くから気づいてしまっていたのかも知れない。
それが彼の最大の不幸であり、自殺を選ぶことになったのかも知れない。

なんていう推測はあまりにも、安っぽく根拠に欠けることで僕などが語るべきことでは無いことはわかっているのだけれど。
| music | 01:13 | comments(0) | trackbacks(5) | ↑PAGE TOP
『さらばルーシー』
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これは嘘でも何でも無い話なのだけれども、今日、昼ごはんを食べて会社に戻ろうと歩いている時、ふと「ゲット・アップ・ルーシー」が頭に浮かんで脳内で口ずさんでいた。

ミッシェルは大好きなバンドだったけど、解散して何年も経つし、CDなどもほとんど聴くことは無かった。だから、どういう経路で「ゲット・アップ・ルーシー」が頭の中で鳴ったのか全くわからなかった。

夕方、yahooニュースを見ると、『元ミッシェルのギタリスト、アベフトシさん急死』との見出しが・・・・
記事によると、
「22日未明に急性硬膜外血腫のため、死去したと所属事務所の公式ホームページで発表した。43歳だった。」とのこと。


ミッシェル・ガン・エレファントは2003年に解散した。
解散がここまで惜しくないバンドも珍しかった(僕にとっては)。
それは、最後の方は良くなかったとか、興味が失せたとかでは無い。
一言で言えば満足したのだ、それも完璧なまでに。

ラストアルバムは聴いた誰もが、これで最後なんだなという内容だったし、素晴らしいものだった。もうこの先、ミッシェルの新曲は一曲も聴かなくていい、ライブも一度も観なくても良い。今まで感じてきたこの満足感だけで充分だと感じることができた唯一のバンドだった。

大学のバンドサークルでバンドをやっていた頃、何曲かコピーした。
5,6曲くらいやった覚えはあるが、確実に覚えているのが、「世界の終わり」「ウェスト・キャバレー・ドライブ」「ダニー・ゴー」の3曲だ。ギターを弾きながら歌った。あんなに上手い演奏など到底できなかったけど、とにかく演奏するのが楽しかった記憶がある。ミッシェルの楽曲は、バンドで演奏してみるとわかるのだが、他のバンドの曲をコピーするのとは快楽度が段違いだった。ライブで演奏したときに演奏者が楽しめることだけを念頭に作っているんでは無いかと思うほどだ。

彼らの生演奏は2度ほど観る機会があった。生で観たときはとにかくアベフトシのギターがかっこよかった。聴けば一発で彼の演奏だとわかる個性があった。

ミッシェルが活躍していた頃、10代後半〜20代前半くらいだった世代(現在20代後半〜30代前半くらいか)にとっては、世界一かっこよいバンドだったと思う。外国のバンドに負けていなかった、というより、圧倒的に勝っていた。

好きな曲は何かと問われれば、「世界の終わり」とか「ダニー・ゴー」だとかボーカルのチバユウスケの色が濃い楽曲を好んでいた気もする。それなのに、久々に頭に浮かんだのは「ゲット・アップ・ルーシー」だった。バンド内の作曲における関係性はよくわからないが、この曲はきっとアベフトシの色が濃く出た曲なのだと思う。だって、めちゃくちゃギターがかっこいいのだ。(僕がミッシェルをきちんと意識して聴いたのも、このシングルからだ。)

ギターの音作りは、エフェクターは使わずアンプとギターのみとwikipediaに書いてある。それで思い出したのだが、確かマーシャルのアンプに差したら、とりあえずフルテン(色々付いてるつまみを全部最大値にする)にして、そこからちょっと微調整するみたいな発言をどっかで聴いた気がする。で、僕も真似してみようと思ったのだけど、ギターもアンプも全然違うので、あんなソリッドでかっちょいい音を鳴らすことはできなかった。

僕がミッシェルを知ったときは少年と青年の狭間だったし、ギターも既に手に取っていたのでちょっと違うけど、当時の中高生くらいの少年達の多くにギターを持たせたというアベフトシの功績はかなり大きいのでは無いかと思う。(真似すんのは難しいけど)

ということで、銀河鉄道999のラストの名ナレーションを拝借して締めさせていただきます。
(この後、ゴダイゴの「銀河鉄道999」が流れます。)

今、万感の想いを込めて、ギターが鳴る
今、挽回の想いを込めて、ギタリストが逝く

一つのリフが終わり、また新しいリフが鳴る

さらばチキンゾンビーズ
さらばミッシェル・ガン・エレファント

さらば少年の日よ


(2分過ぎより)
| music | 00:46 | comments(0) | trackbacks(53) | ↑PAGE TOP
『studio voice 休刊に関して』
studio voice online


創刊32年、日本のサブカル雑誌の代表格とも言えるであろう「studio voice」が8月6日発売の次号で休刊するということを、仲俣暁生の「海難記」の最新エントリーで知った。

2009-07-02 Thursday
■スタジオボイス休刊に思うこと

仲俣氏の記事を読んで、この雑誌が休刊になることは避けられないことだと納得した。
5月に「エスクァイア日本版」も休刊になっているのに、「スタジオボイス」が生き残れるはずは無いだろうと素人目に見ても感じていたし、実際思ったより早くそういうことになった。

最近は熱心な読者だったわけでは無いが、休刊の報を受けて何か虚脱感のようなものが身体を駆け巡るのを感じた。

「スタジオボイス」という雑誌を初めて買ったのは、97年のエヴァンゲリオン特集の号だったと思う。劇場版の完結編公開の頃で、大学に入りたてで東京で一人暮らしを始めて、19歳になろうかという頃だった。

エヴァンゲリオンとRadioheadのショック(笑)に完全に打ちのめされ、身体中の細胞が入れ替わろうかという時期に「スタジオボイス」なる雑誌の存在を知った。

地元の仙台にも当然売っていたのだろうが、全く意識したことが無かった。

エヴァンゲリオン特集につられて手に取った雑誌だったが、特集以外にも本、音楽、美術、演劇・・・といったレビューが載っており、そこに取り上げられているものの大半が今まで触れたことの無いようなものばかりだった。

それは僕にとって東京を象徴するかのような雑誌だったのだろうと今になって思う。
東京では大概の本も音楽も手に入ったし、映画も美術も観れた(演劇は興味無いから観てないけど)。

ただ東京に住みかを変えたというだけで、世界が何万倍にも広がった気がしたのだ。

多くの人に売れる雑誌というのは大抵、何も知識が無い人が読めるような記事作りをしていることが多いのだが、スタジオボイスはその真逆を言っており、いわゆる「わかってて当然でしょ。」的な記事の書き方をしているなあと当時の僕は感じていた。

『よくわからないからこんな雑誌もういいや』とは思わずに、『ここに書いてあることが理解できるようになったら、かっこいいんじゃないか』なんていう若き日の僕は雑誌に載っている膨大と思える情報から、とりわけ興味のひかれたものにアクセスしていった。

目に付いた特集から派生して様々なものにアクセスすることができる。僕にとってのプラットホームになっていた時期があるのだ。

仲俣氏はこの雑誌を創刊から知っているのだろうし、記事を書いていたりもしたので、マンネリ化をかなり前から感じていたようだ。確かに、「写真集の現在」なんていう特集を何回も何回も繰り返したり、僕が知る限りでも、10年前から特に何か変わった様子も無い(だから僕も読まなくなったのだろう)。

ただ、少なくとも二十歳前後の僕にとっては、大事な役割を果たしていた。
何が書いてあるのかを理解できないままに我慢して読む、とか興味が無い分野のことでも記事を読むだけ読む、とかそういうことを積極的にしたがる若者がいる限り、この雑誌にはまだ役割があったのだと思う(そう考えると、この雑誌ってずっと読み続けるものではなく、ある一定のレベルに達したら卒業していくというタイプの雑誌なのかも知れない)。

しかし、結果は残酷なもので、「スタジオボイス」は役割を失った。
インターネットの力は確かに大きいだろう。ただ、ネットは自分の興味ある分野へのアクセスに対しては有効だが、興味の範疇外のものに対するアクセスチャンスは雑誌に比べるといまだ少ない。リンクを辿って様々な派生情報へアクセスできるが、そこに想像以上の飛躍があるには至ってないと思う。

未知の情報へのアクセスがあまりにも容易になりすぎたとも思う。

スタジオボイスに載っていたCDを聴いてみたいけど、普通のCD屋には売ってないし、下手したら取り寄せなきゃ行けなかったり、値段も高かったりでおいそれとはアクセスできない。中古CD屋でいつか出会うかも知れないからメモを財布に忍ばせ、中古CD屋に行ったときに必ずチェックして、数年後にようやく手に入れたはいいけどちっとも良くなかった。

こんな経験が今はできなくなった。大概のものはネット上で見聞きすることができるので、芽生えた興味や好奇心といったものが、自分の中で醸成されていく期間が無くなったのだ。

今だって毎月スタジオボイスを本屋で見つける度に、一応手にとってパラパラとめくってはいた。ただ、それをレジに持っていくことが無くなったのだ。いつも同じような書き手が同じようなものを取り上げて、同じような記事を書いていた。時間のありあまっている大学生だからこそ読めていたのだと思う。

そうか、ネット云々の話では無く、大学生が雑誌を読まなくなったのだ。こんな文字の多いサブカル誌は暇な大学生が読まなきゃ成り立たない。10年前の僕のような大学生が少なくなったのかもしれない。

そう考えると、次は「Quick Japan」あたりがヤバイのでは無いかと思う。

家の本棚に残っているバックナンバーをパラパラと眺めていたら凄く面白かった。70年代アメリカニューシネマの号なんて、今でも有効なカタログになる。良い雑誌だった。文字の小ささ、読み辛さ、ザラザラした紙質も含めてこの雑誌は好きだった。

版元はせめて残っているバックナンバーを廃棄するようなことはせず、古本屋でも何でも良いので少しでも多く市場に出回っている状態を保って欲しい。

もう月初に「今月のスタジオボイスの特集は何だろう?」なんてことを気にしなくてよくなるのだ。
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『トランジスタラジオ』
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学生の頃、コンサートの係員のバイトをちょくちょくやっていた。日本武道館でのコンサートのバイトの時、その日出演するミュージシャンがもうすぐ到着するということで、僕が車の着く所に出迎えに行って、楽屋まで案内するように命じられた。

昨夜、yahooニュースに出た速報を見て即座にそのときのことを思い出した。その日のアクトである忌野清志郎は、テレビなどで見ていたあの彼と同一人物だとは一瞬気づかない程、普通の中年男性であった。58歳という若さで亡くなるとは思いもしなかった。自分の父親よりも(少しだけだが)若いのだが、そのブルースマンは父親よりもずっと老けて見えた。背も小さく、いつものメイクもしていなく、奇抜な格好もしていない素顔の彼は、今にして思えば、華やかで破天荒なロックンローラーというよりは、年老いたブルースマンであったのだ。

自分も(一応ロック)バンドなどをやって、若さゆえの青臭い希望を音楽の世界に抱いていたわけだが、忌野清志郎のあまりのオーラの無さは、僕の若い夢にどこかかしら水を差したようにすら感じた程だった。

緊張もしてたし、取り巻きの人もいたし、僕は言葉すらかわすことができず、彼の楽屋まで何となく案内めいたこと(多分僕がいる必要は全く無かった)をして、そのブルースマンとの一瞬の時間の共有は終わった。

昨夜のニュースが出てから、多くの音楽ファンと同じように僕もRCサクセションのベストアルバムを聴き直した。バリー・マクガイアの「明日なき世界」の日本語カバーは最高だった。「スローバラード」を聴くとどうしようも無く胸が締めつけられる。タイマーズの時にやった、モンキーズの「デイドリームビリーバー」は好き過ぎて聴くことができない。カバーが完全にオリジナルに勝っている例とは世界中探してもあれだけだと思う。

「トランジスタラジオ」は、ロックを心から愛する男子にとって特別な曲だ。ラジオ一つで、ベイエリアからリバプールまで聴いたことの無いナンバーとつながることができたあの若い時の興奮を完璧に表現した曲は、世界でもあの曲以外に無かった。

中学生から高校生にかけて、FMラジオのエアチェックなどをして、ビートルズから始まって、過去の偉大なロックをたくさん吸収した。名前だけ先に知って、後から曲を聴くたびに訳の分からぬ興奮を覚えた。

高校の行き帰りで自転車に乗って、ボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」を聴いた。何を言ってるのか全くわからなかったけど、あの長い曲がいつまでも終わって欲しくないと感じた。デヴィッド・ボウイの「starman」を聴いてこれが自分の理想とする曲だと本気で勘違いした。TRexの「Metal Guru」でギターのディストーションの魅力を知った。黒人のソウルに触れた。サム・クックの歌声が背骨を震わせた。

忌野清志郎の音楽をさほど聴いてこなかった。しかし、「トランジスタラジオ」という曲の存在を忘れたことは無かった。好きな音楽を見つけたときの喜びは全てあの曲で表現されていた。

この曲の歌詞で一番好きなところは、

授業中あくびしてたら、口がでっかくなっちまった
居眠りばかりしてたら、もう目が小さくなっちまった


そういえば、あの日本武道館の楽屋口で見た彼は、口が大きく目の小さなブルースマンだった。
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teenage fanclub 2009
JUGEMテーマ:音楽



Tennage Fanclub(以下、テ ィーンエイジファンクラブ)が今年のサマーソニック09への出演が決まったとのことだ。久しぶりの新アルバムがリリースされるとのことだったので、来るだろうなあとうっすら思っていたが、こうして改めて確定情報を得ると喜びもひとしおだ。

イギリスはグラスゴーを代表するバンド、ティーンエイジファンクラブのライブは過去3回観ている。初めて観たのは、記念すべき第1回目のサマーソニックであった。この時のサマーソニックは今のように会場が幕張ではなく、山梨県の富士急ハイランドだった。ステージの数も今のようにいくつも無くて、メインステージと、セカンドステージの2つだけであった。

第1回目のサマソニは今思うとよだれモノのメンツ揃いで、僕は2日目だけに行ったのだけど、1日目のメンツも今から思うと凄い。ジェームス・ブラウンやアレステッド・ディベロップメントなんてなかなか観れ無さそうなメンツがいるし、セカンドステージには、フレインミング・リップスやイールズ、グランダディがいて、シガーロスやコールドプレイがイールズやらスーパーカー、イースタンユースよりも全然前の出番だってのも凄い。

summersonic 2000


僕が行ったのは2日目だ。確か記憶を辿るとアット・ザ・ドライブインを観て、スナッグ、くるり、タヒチ80と観て、ウィーザーを観て、ティーンエイジファンクラブを観た。

この日のターニングポイントはウィーザーであった。ウィーザーを観て、そのまま残ってグリーンデイを観るのか、あるいは移動してティーンエイジファンクラブを観るのかという選択肢が多くのギターロックファン達に突きつけられた。

グリーンデイを観るか、ティーンエイジファンクラブを観るか。

この当時のグリーンデイはまだ、メロコアの旗手のような存在でまあ言ってみれば、元気が良く、マッチョなイメージさえどこかかしらあった。比べてティーンエイジファンクラブは雑な言い方をするとナードな癒し系といった(雑な言い方だと)イメージがあったと思う。

更に雑に言ってしまうと、体育会系か文化系かみたいな違いなんだろうと思う。よくよく考えればウィーザーを通過している上で、バリバリの文化系なのだが、その中でも小さな差異はあって、「文化系の体育会系」とよりピュアな文化系とに分かれていくのである。ただ、これは興味の無い人々にとってはあまりにも瑣末なくだらない差異にしか映らないと思う。

わかる人にしかちっともわからないような話だけど、これはあくまでも僕の印象であって、実際のバンドの音楽性から受ける印象とはあまり関係無い。

何にせよ、グリーンデイ(当時の)を観に行くような人達は、頭にタオル巻いて短パン姿のような男子が多くて、ティーンエイジファンクラブに行くような人達は、暑くても細身の長ズボン、メガネ率高しみたいな男子が多いのだ。(雑な見方だけど。)

グリーンデイ(あくまでも当時の)を観に行くような人達は、「パーティーしようぜ!」みたいなノリが好きな人が多くて、ティーンエイジファンクラブに行くような人達は、公園で一人でヘッドフォンで音楽を聴くのが好き、みたいな人が多いのである。(本当に雑な見方だけど。)

で、僕はメガネをかけていないし、暑いので短パンを履いていたけど、迷うことなくティーンエイジファンクラブを観に行った。

2000年8月6日、22歳になる2日前のことだ。
ウィーザーが演奏したメインステージから、ティーンエイジファンクラブが演奏するセカンドステージまでは歩くと15〜20分くらいかかるほど遠い。セカンドステージはあまり広くないと、時間がギリギリになると最悪入場規制がかかり、観れなくなる可能性がある。ウィーザーのステージが終わる少し前、あと1,2曲を残して移動を始めた。何故なら同じように、ウィーザーを観て、ティーンエイジファンクラブを観ようと考えている人達がたくさんいて、ポツポツとそうした人達が移動を始めるのがわかったからだ。ステージではウィーザーが「Surf Wax America」を演奏していた。凄く名残惜しかった。

セカンドステージまでの道のりを多くのティーンエイジファンクラブのファン達が走っていた。僕も負けじと走った。皆、小走りなんてもんじゃなくできる限りの速さで走っていた。入場規制がかかる前に、少しでもステージの近くに、という想いに駆り立てられていた。

30歳の今だったら、ウィーザーを観ないで、最初からセカンドステージに陣取ってティーンエイジファンクラブを待っているだろうが、当時は欲張りだった。どっちもどうしても観たかったのだ。そして、全く同じ考えの人達がたくさんいて、皆一斉に同じ方向に向かって走っていたのだ。勢い余ってこける者もいた。それはそれは愉快な光景で、笑いながら走っていた。

バンドが登場して、1曲目が始まった。「everything flows」というファーストアルバムの1曲目、多くのファンに取ってはティーンエイジファンクラブとの出会いの曲であり、イントロからディストーション全開で一斉に音を鳴らすので会場はとてつもない盛り上がりを見せた。ただ僕はファーストアルバムをCDでもMDでも音源を持っていなく、「everything flows」は良く知らなかったので、一人だけ乗り遅れた感じを受けたのを良く覚えている。他のアルバムの曲は大体聴けばすぐに曲名が出るくらいまで聴いていたが、そのアルバムだけは何故かちゃんと聴いていなかった。ギターのディストーションが強く、非常にノイジーな曲なので、ほとんどどんなメロディなのかもわからなかった。でも、凄く良い曲だということだけがわかった。今まで聴いてきたティーンエイジファンクラブの曲の中で一番良い曲だと感じた。

太陽が落ちきっていなかったので、屋内型の会場であるセカンドステージの中に外の光が差し込んでいた。

最後の曲は「the concept」だったと思う。もう陽は落ち切っている。「I did't want to hurt you oh yeah〜」の所と、後半テンポが落ちて、ふ〜う〜ふ〜うう〜とハミングが続くところはもう大合唱。

この1曲目と、最後の曲の光景をずっと覚えている(その間は全く覚えていないのだが)。どういう角度からバンドメンバーを観ていたか、どういう光が当たっていたか、どういう音が鳴っていたか。どんな会場でどんな天井だったか。

文字に起こすことは不可能だが、その時の全部が記憶に焼き付いている。

その後2回ティーンエイジファンクラブのライブに行ってるし、その内1回は2005年のサマーソニックなのだが、不思議なことに全く覚えていない。

今年、10周年を迎えるサマーソニック09で彼らが久々に来日するのだが、まるで10年ぶりくらいに彼らのライブに行くような感覚にさえなっているのだ。

彼らの音楽は大抵”エバーグリーン”やらそんな形容をされる。聞き込めばアルバム毎に音楽性は変化してきているが、『相変わらず』な良さがある。記憶に焼き付いている1回のライブと、全く記憶に無い2回のライブ。どちらも彼らは同じように『相変わらず』な演奏をしていたのだろう。違いがあるとすれば、多分に僕自身の方だ。今回のライブは記憶に残るものとなるのだろうか。

「everything flows」より(超意訳 by gnyuske)

See you get older every year
But you don't change
Or I don't notice you changing
I think about it every day
But only for a little while
And then a feeling

毎年、年をとっていくのに、君は変わらないなあ
僕が気づかないだけかもしんないけど
毎日そんなこと考えてるよ
でも、ふとそう思うだけで、それから感じるんだ


A Catholic Education
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